特別展「キリシタン──日本とキリスト教の469年」國學院大學博物館で開催中

 

世界文化遺産に「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」が登録されたことを記念する特別展「キリシタン──日本とキリスト教の469年」(主催:國學院大學博物館、西南学院大学博物館)が國學院大學渋谷キャンパス(東京都渋谷区)で開催されている。28日まで。

開催中の特別展「キリシタン──日本とキリスト教の469年」=6日、國學院大学博物館(東京都渋谷区)で

1549年、日本にキリスト教が伝来してから今年で469年。これまで日本は、海外から流入してきたさまざまな文化を換骨奪胎(かんこつだったい)しながら取り入れてきた。そういう日本にキリスト教がどのように根を下ろしてきたのか、その歩みをたどる。

『浦上耶蘇宗徒処置顛末提要』(國學院大學図書館蔵)

國學院大學は神道、西南学院大学(福岡市)はキリスト教と、それぞれ違う宗教を建学の精神にしているが、その両大学の博物館が互いの強みを生かして共同企画したもの。キリシタン考古学の新たな発見、また島原・天草一揆や禁教期の未発表資料など、国の指定重要文化財10点を含む85点が出品されている。

「かくれキリシタン」で知られる生月島伝来の「お掛け絵」(西南学院大学博物館蔵)

たとえば、日本の禁教政策に使われた踏み絵。江戸時代、キリシタン屋敷に幽閉されていたカトリック司祭シドッチが持っていたとされる「聖母像(親指のマリア)」。浦上四番崩れに深く関わる二つの「マリア観音像」。天草・島原一揆の戦場となった原城から出土された十字架やメダイ、ロザリオ。また、天正少年使節の一人、千々石(ちぢわ)ミゲルの墓で見つかったガラス玉など。本来なら別々に所蔵されている品を一挙に見ることができる点でも貴重な展覧会だ。

浦上四番崩れ伝来の「マリア観音像」(西南学院大学博物館蔵)

6日には、「島原・天草一揆とその後」と題したシンポジウムも開催された。一揆についての最新の研究成果を、長崎大学教授の木村直樹(きむら・なおき)さん、早稲田大学教授の大橋幸泰(おおはし・ゆきひろ)さん、熊本大学准教授の安高啓明(やすたか・ひろあき)さんが報告した。

左から安高啓明さん、大橋幸泰さん、木村直樹さん

島原・天草一揆は、1637年10月下旬から翌年2月下旬にかけて、キリシタン農民が主体となり、弾圧に対する信仰の復活と租税の重圧からの解放を願い、幕藩権力に反旗をひるがえしたものとされる。しかし木村さんは、「これまでの研究では、一揆を起こした側に重点が置かれ、幕府側の軍事的側面からの検討が少なかった」と指摘する。「幕府軍は、これまで考えられてきた12万人ではなく、15万人程度まで考える必要がある」と言い、さらに、この中に牢人が含まれていることにも注目。「天草・島原一揆は、江戸時代の特質を解明する重要な事例ではないか」と語った。

続いて大橋さんが、諸藩による島原・天草一揆の記録と記憶の継承の様子を紹介した。岡山、秋月、佐賀の3藩にある史料は、文字による記録だけでなく、屏風(びょうぶ)絵などもあり、そこからは、これらの一揆が記憶すべき事件として語り継がれたことがうかがえる。その中でキリシタンは近世人にとって共通の排斥対象となり、次第にキリシタンの実態とはまったくかけ離れた邪悪な存在となっていった。このことは、江戸時代の秩序を維持するために大いに役立ったという。

最後に登壇した安高さんは、当時の踏み絵の実態と、その扱われ方が変容していった様子について説明した。最初は踏み絵が厳正に履行されていたが、次第に酔狂の上で行われるなど、イベント化していったという。さらに、鋳物師(いものし)が作った「真鍮(しんちゅう)踏絵」が導入されると、信仰の対象として崇(あが)めている神の画像を踏ませるものではなくなったため、潜伏キリシタンにとっては容易に踏めるようになった。その結果、組織を維持するために踏むという柔軟な対応をとるようになっていったという。

特別展「キリシタン──日本とキリスト教の469年」の会館時間は午前10時~午後6時(入館は閉館の30分前まで)。会期中休館日なし。入場無料。

なお同展は、11月2日より西南学院大学博物館に会場を移して開催される。

 






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