「一巻の終わり」なんてない 【発達障害クリスチャンのつぶやき】

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ゆうべ、パソコンが急に壊れました。キーボードが使えなくなり、再起動したら動かなくなりました。画面が灰色になり、電源も落とせなくなりました。以前にもほぼ同様の症状で壊れたことがあります。これが「故障」であることは明らかでした。私のいまの仕事はすべてオンラインで完結するものばかりです。パソコンが壊れたら「一巻の終わり」です。こうなることを怖れて、友人に相談し「2台持っておく」という知恵を得、もう1台を確保しようとしていた矢先の出来事でした。私は妻をたたき起こして、大声で迫ってしまいました。しかし、妻の反応を見て、私はこれが自分の受けてきた「一巻の終わり教育」の「成果」であることをようやく思い出すことができました。

私は結婚前、結婚披露宴の座席表を作ってくれた未来の妻が、お客様の席の名前で、自分たちの両親にも「様」をつけてしまったことを知りました。これを知った私の両親は激怒しました。彼らは健全な常識人です。両親に「様」をつけることなど「非常識」だと言うのです。「小学生が『ぼくの、おとーさんは』と言っているようなものだぞ!」と父は激しく憤りました。私は未来の妻に向かって「あなたは取り返しのつかない失敗をしたのだ!」と強烈に迫ったそうです。自分でもよく覚えていませんが、確かにそのころは「一巻の終わり教育」の強力な洗脳下にありましたので、さもありなん。そんなものは印刷し直せばいいのにと今なら思います。でも、ゆうべパソコンが壊れたときは取り乱してしまいました。

ツイッター時代によく見かけたマンガがあります。1コマ目で女子高生が「どうしよう…」と青ざめています。どうやら「望まない妊娠」をしたようなのです。そこから先は描いてないため、その先どうなったかは知らないのですが、これは典型的な「一巻の終わり教育」だと思って見ていました。そのマンガは「高校生が望まない妊娠をしたら一巻の終わりだぞ」と強烈に迫っているのでした。むしろ高校生に教えるべきことは「世の中に『一巻の終わり』などないのだ」という安心感ではないかと思います。「一巻の終わり教育」の「被害者」である私は、洗脳から解放されて、そのように感じます。

私は30歳の新卒で勤めた私立中高を、16年も勤めてしまいました。勤めた初日からこれはまったく向いていない仕事だと気づいており、ひたすらつらいつらい、苦しい苦しい仕事を16年も続けてしまって、挙句に今年の2月にやめさせられたのです。多くの人は私を「根性がある」と言って称賛します。先日の生活困窮の福祉の窓口の人もそうでした。しかし、それは違うと思います。私は根性があってそのひたすらつらい仕事を16年も続けてしまったのではありません。これは「一巻の終わり教育」の「成果」です。「この仕事を辞めたら一巻の終わりだ」と強烈に思い続けてきたから16年も勤めてしまったのです。多くの人はこれだけ向いていないひたすらつらい仕事であれば、最長でも3年くらいで辞めるみたいですね。いや3カ月か。

私は今でも自室でひんぱんに「半狂乱」になっています。ボールペンをなくしては半狂乱となり、飲む薬が見当たらなくては半狂乱になっています。小さいころから「だらしがない」「ものをなくす」ということで、両親や教師から厳しく叱責されてきたため、「ものをなくす」ということをとてつもなく悪いことであるかのように刷り込まれておりまして、ボールペンをなくしたら「一巻の終わり」だと思っているせいです。この洗脳はいつか解かれるのでしょうか。

本日は、あちこちにSOSを出しました。所属教会の牧師がすごくパソコンに強く、その牧師さんにパソコンの強制的な電源落としをやってもらえました。また親しい友人にパソコンを借りることができて、いまそのパソコンからこの記事を書いています。修理はあさって出せます。保証期間内でした。どうにかなるものです。特に若いみなさんに申し上げたい。世の中におよそ「一巻の終わり」というものはありませんよ!

「とんちんかん」な感想を言ってはいけないというプレッシャー 【発達障害クリスチャンのつぶやき】

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