「殺せ。殺せ。十字架につけろ」 【発達障害クリスチャンのつぶやき】

falcoによるPixabayからの画像

私はかつて中高の数学の教員でした。文科省の検定を受けているはずの教科書でさえ、たくさんの「ツッコミどころ」がありました。ほんの一例を挙げますと、小学校の算数の教科書は、根本的に「概数」の概念を理解していないのではないかと思われます。それでも「間違っている教科書」のとおりに教えて、そのとおりに答えないと、「○」はもらえないし、いい中学校にも入れないのです。そのジレンマは常に強く感じていました。

私は徹底的なダメ教員でした。生徒からはなめられ、授業は崩壊し続けました。11年教員をした挙げ句、教員をやめさせられています。いま思えば、私はその学校で最もできない教員であると同時に、ある意味、最も「できる」教員だったのかもしれません。圧倒的な学歴だけが唯一の証拠ですが、あまりに聖書に詳し過ぎる人はかえって牧師に向いていないのと同様、あまりに数学に詳し過ぎる人は周囲から理解されずにダメ教員として排除されるのでした。

時々「モーツァルトが現代に生きていたら、ものすごい人気作曲家だったろう」という人がいます。私にはそうは思えません。モーツァルトが現代に生きていたら、やはり周囲から理解できない前衛的な音楽を書いて、失敗の人生を歩んでいるのではなかろうか。モーツァルトは当時の人から見れば、典型的な失敗者です。現代人があまりにも「モーツァルト=大作曲家」と思い過ぎているだけなのです。私も含めて、モーツァルトの同時代の理解者にはなれないだろうと思います。

「律法学者たちとファリサイ派の人々、あなたがた偽善者に災いあれ。あなたがたは預言者の墓を建てたり、正しい人の記念碑を飾ったりしている。そして、『もし先祖の時代に生きていたなら、預言者の血を流す側には付かなかったであろう』などと言う。こうして、自分が預言者を殺した者たちの子孫だと、自ら証明している」(新約聖書マタイによる福音書23章29節以下)とイエス・キリストは言いました。まるでモーツァルトの同時代人だったら、モーツァルトの理解者であったかのような言いかたではないですか。「いつだってわすれない エジソンはえらい人 そんなの常識 タッタタラリラ」という歌詞(『おどるポンポコリン』)もありますが、小学校を3カ月で退学になったエジソンの伝記が現在の小学校の図書館に推薦図書として置いてあることについて、誰も何も思わないのでしょうか。

そのイエス・キリストは、まさにその数日後に処刑されています。群衆は「殺せ。殺せ。十字架につけろ」と叫びました。「会いに行くキリスト教会」牧仕のともみんとその仲間たちは(私も含めて)「イエスさま、大好きー!」と言っていますが、じつはそれは現代だからであって、当時の群衆であれば「あいつを十字架につけろ!」と叫んでいるはず。私も含めて。

珍しく受難節に「キリストの受難」について考えました。私たちの合言葉は「イエスさま、大好きー!」なのか、それとも「殺せ。殺せ。十字架につけろ」なのか。後者なのではないかと思うわけです。

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