【哲学名言】断片から見た世界 フッサールの言葉

新しい哲学が生まれる時には、いかなる苦しみをくぐり抜けなければならないか  :現象学の祖、エトムント=フッサールの場合

「生みの苦しみ」という言葉はどの分野においてもひんぱんに用いられていますが、哲学においてももちろん、この苦しみは存在します。今回の記事では、その最たるケースの一つを見てみることにしましょう。

「[…]私自身若い頃には懊悩を重ね、憂鬱症の長い発作に苦しみ、遂にはまったく自身を喪失するまでになって、精神医のところへ相談に行くような真似もしたのです。[…]こうして絶望しては気を取り直し、また絶望しては気を取り直す日々が続きました。そしてとうとう、十四年続いたハレでの苦しい私講師時代に、ある端緒が開けてきましたー『論理学研究』です。」

上の文章は20世紀の哲学者であるエトムント=フッサールが、その主著の一つである『論理学研究』を書くまでの経緯について、自ら語ったものです。現象学と呼ばれる哲学の一大潮流を作り上げたこの哲学者が経験した「生みの苦しみ」とは一体、どのようなものだったのでしょうか。

「あのさ、僕ってもうずっとめちゃくちゃに頑張ってるわけだけど、ひょっとしたら何にもならないで終わるってことも、ありうるのかな……?」「……まあ、そういうことも確かに、ありうるでしょうね」:フッサールの「ハレ時代」

1887年から1901年にかけて、ハレ大学の私講師を務めていたいわゆる「ハレ時代」はフッサールにとって、人生の中でもまさしく最悪の時期に近いものでした。フッサールは、28才で私講師(現代でいうと、強いて言うならば「非常勤」に近い、生活上の安定のないポスト)になってから、42才でゲッチンゲン大学に移るまでの30代の日々を、まるまる「生みの苦しみ」の日々として過ごしたのです。

そもそも、哲学者のことを「なんか頭よさそうで、めっちゃイケイケした雰囲気を出しながら人類の未来とか理想の生き方について、語ってくれる人たち」と思い描くとしたら、その期待は残念ながら、大いに裏切られることになるであろうと言わざるをえません。

実際にはイケイケするどころか、歴史に残る哲学者たちの大部分が、墜落して地の底まで落ちてゆくといったレベルの抑鬱状態を経験しています。ここで取り上げているフッサールもその例に漏れることなく、この「ハレ時代」には、精神科医のお世話にならざるをえなくなるほどの落ち込みを味わうことになりました。それも、『算術の哲学』という、世の中何がどうなろうとも、これだけは絶対にバズることはないであろうという位にマニアックな内容を持つ最初の本の探求をさらに突き詰めるために、先も見えない暗闇の中をひたすら歩み続けたのです。

つまり、30代のフッサールが耐え抜いたのは、「自分の人生のたった一度しかない30代のエネルギーを全力投入しても、残念ながら結果は完全なるゼロとなるかもしれず、しかも、もっと楽な道を進んでいったかつての同僚たちは順調に栄達の道を歩んでいっている中、ひたすらに『算術の哲学』のその後を一人で追い続ける」という、一体どんな罰ゲームなのよこれと思わず自らツッコミを入れざるをえないような苦境にほかなりませんでした。自ら選んだ道であるとはいえ、その労苦のほどが察せられます。

Photo by Eric Han on Unsplash

光は、長い暗闇を抜けた先に射し込んできた:出来あがった『論理学研究』と、訪ねてきた読者

フッサールは、この長い長い暗闇を耐えぬきました。耐えぬいて耐えぬいて、もうダメだ、もうここで倒れるかもしれない、妻よ家族よすまぬと思ったあたりでついに見えてきた一条の光こそが、上の文章でも見たように、『論理学研究』という一冊の書物にほかならなかったというわけです。

刷り上がった『論理学研究』は、輝いていました。細かいところにどこまでもこだわり抜くフッサールの性格を如実に反映して、この本の内容はどこまでも細かく、またマニアックなことこの上ないものでしたが、それにも関わらずこの本は、ある根底的に新しい哲学の誕生を告げていました。その哲学の名こそが、かの名高き「現象学」にほかなりません。『論理学研究』は、やがて後には全ヨーロッパの哲学者たちを熱狂の渦に巻き込むことになる現象学運動の、そのはじめの一歩をしるしづける記念碑的な著作だったのです。

その後にフッサールが獲得することになる、哲学者としての最大級の栄光について語る代わりに、ここでは一つのエピソードを紹介しておくことにしましょう。

『論理学研究』を出版しおえた翌年の1902年の夏のある日に、ある一人の青年が、フッサールの自宅を訪ねてきました。なんと、その青年はおよそ100キロほども離れた遠い街からフッサール先生の家まで、自転車に乗ってやってきたのです。その目的は、まだそれほど広く世に知られているわけではないフッサール先生に「突然失礼しますが、会えて感激っす、先生の本、感動しながら読みました、いやもうほんとに最高でしたよ、これこそ本物の哲学っす!」と告げて、大いに議論しあうことにほかなりませんでした。フッサール先生は大いに興奮しながらその青年と数時間議論したのち、妻のもとに「うおおおお、わしの『論理学研究』を読んで分かった人がやってきた!」と報告しにいったそうです。彼にとっては、この出来事こそが、長い労苦を耐え忍んで完成させたこの本を書いたことから得られた、最も喜ばしい報酬の一つだったのでした。

おわりに

実は『論理学研究』ですべてが終わったわけではなく、フッサールの現象学が本格的に飛び立つまでにはまだまだ多くの「生みの苦しみ」を経なければならなかったのですが、とりあえず、最初の大いなる光が明け初めてきたこの時点で、今回の記事は一区切りとしておくことにします。この記事を読んでくださった人の中で、もし現在、先の見えない暗闇のまっただ中を進んでおられるという方がいましたら、フッサール先生の苦闘をめぐるこのエピソードが、考える上での何かのヒントにでもなれば幸いです。

 






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