【哲学名言】断片から見た世界 聖書が語る「クリスマス」の意味

「クリスマス」とは何を意味するのか? :聖書が語る、12月25日の意味

今週の金曜日から土曜日にかけては、誰もが心躍る(?)クリスマスです。このコラムも、曲がりなりにも「クリスチャンプレス」の旗印のもとに連載しているので、今回の記事はクリスマス特別回ということにしたいと思います。

「天使は言った。『恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。あなたがたは、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう。これがあなたがたへのしるしである。』」

上に引用したのは、新約聖書『ルカによる福音書』の中の、クリスマスに関する一節です。クリスマスの日の物語について知っている方は多いのではないかと思いますが、今回の記事の後半部ではそこに込められているメッセージの意味に焦点を当てて、少し立ち入って考えてみることにします。聖書の中身に立ち入ることになってしまいますが、それでも構わないという方は、最後までお付き合いいただければ幸いです。

「ページェント」と子どもたち

私たちが生きている日本という国はいわゆる「キリスト教国」ではありませんが、この国においてもクリスマスのもともとの雰囲気を味わうことのできる風物詩としては、「ページェント」があると言えるかもしれません。

ページェントとはこの場合、クリスマスの出来事を短いドラマに仕立てた「聖史劇」のことをいいます。キリスト教の幼稚園では、たいていクリスマスの行事としてこの「ページェント」をするのですが、そこでは小さな子どもたちが羊飼いや天使たち、マリアさまやヨセフに扮して、わいわいと歌ったり、踊ったりしながら、イエス・キリスト誕生の物語を紡いでゆきます(キリスト教系の幼稚園に通っていたという方の中には、「昔やったなあ、懐かしい!」という方もいるかもしれません)。生まれたてのひよこのような子どもたちが「メリークリスマス!」のメッセージを届けてくれる様子は、見ていてとてもほのぼのするものですが、現代ではたとえばYouTubeで「ページェント」と検索するならば、この劇をダイジェストで見ることができます。

余談にはなってしまいますが、キリスト教系幼稚園に通う「ひよこちゃん」たちを観察していると、どこでも見てとれる、一つの興味深い事実があります。これらの幼稚園ではたいてい「おいのりの時間」に、「主の祈り」と呼ばれるお祈りを子どもたちも唱えるのですが、お祈りが「われらを試みに会わせず、悪より救い出したまえ」という箇所に差しかかると、それまで慎ましくお祈りを唱えていた子供たちはとたんにハイテンションになって、「われらをこころみにあわせず、悪よりすくいだしたまえ!と叫び出すのです(特に男の子)。「悪」と聞くとどうしても大興奮してしまう人間存在の性を非常によく示す光景であるといえますが、この場合には、かわいくもあるのでギリギリセーフといったところでしょうか。機会があったら、「ひよこちゃんたち」の盛り上がりぶりをぜひ観察してみてください。

 

「イエス・キリストが生まれた日」:クリスマスの本当の意味とは

さて、クリスマスです。先ほどの聖書の箇所にも示されているクリスマスのメッセージ、それは一言で言い表すならば、「天におられる父なる神は、私たち人間の一人一人をこの上なく愛しておられる」ということになるかと思います。

誰もが知っているように、クリスマスとは、イエス・キリストがこの世に生まれたとされている日です。イエスが本当にこの日に生まれたのかどうかという点については、まあ、人によっては異論がなくもないようですが、大事なのは、イエス・キリストというこの人が、今から二千年前のユダヤの地で、実際に生まれた人であるということです。それ以来、キリスト者と呼ばれる人たちは「救い主が来た!」という喜びを共に分かち合うためのまたとない行事として、クリスマスを祝い続けてきたわけです。

神はいないのでも、人間に関心を持っていないのでもなく、私たち人間の一人一人を、この上もなく深く愛しておられる。神はそのことのしるしとして、イエス・キリストという神の子を贈ってくださった。そして、私たち人間にとっては、このイエス・キリストにおいて示された神の愛に出会うことよりも大きな出来事はほかにない。

このことこそ、このコラムを書いている筆者や、ウェブ上での編集をしてくださっている「クリスチャンプレス」編集部のKさん(真ん中に置かれている写真をいつも選んでくれているのも、彼女です)、そして、世界中のクリスチャンたちが信じている「クリスマスのメッセージ」にほかなりません。イエスには、はるか後には人間の罪を背負って十字架にかかるという運命が待っていますが、救い主が生まれてきてくれたことを祝うクリスマスの行事は伝統的に、「外で寒い冬の日の空気を吸い込んだあと、暖炉や食卓を囲んで、救い主がやって来たことの喜びを皆で分かち合う日」とされてきました。神の愛に触れ、それを分かち合うことのうちではじめて、「隣人愛」と呼ぶことのできるような何かが人間の心の中に芽生えてくるのだと、聖書は語っています。ローマ兵や東方の博士たちなど、さまざまな衣装に扮した幼稚園の子どもたち(「人間の本当の幸福は、長い年月をかけて、経験の中で練り上げられた知恵と、幼子のように素直な心を持ち続けることのうちに存する」)は、毎年、元気いっぱいに「かみさま、ありがとうございます!」を叫んでいますが、この記事を読んでくださっているお一人お一人のクリスマスが、暖かさと安らぎと愛に包まれたものであることを祈ります。

おわりに

今回はいつもとは違うクリスマス仕様の回でしたが、ここまで読んでくださった方、本当にありがとうございました。この機会に挨拶させていただきたいのですが、Twitterを通してつながっている方、リアルの方で「コラム、読んだよ!」と声をかけてくださっている方、今回の記事を書く上でこの上ないインスピレーションを与えてくれた、地元の幼稚園の子どもたち(「悪よりすくいだしたまえ!」)など、このコラムに関わってくださっている方々には、ただ感謝というほかありません。次週からはKさんのサポートのもと、また普段通りのコラムを再開しますので、お時間のあるときにでもお付き合いいただければ幸いです。それでは皆さま、今週末はよいクリスマスをお過ごしください!

 






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