【chiyoのGOD ONLY KNOWS!】第12回 家にて

今回のコラムは趣向を変えて、舞台を「家」ということでお送りしたいと思います。

みなさんは家にどんなイメージがありますか? 実家暮らしの人、アパート暮らしの人、マンション暮らしの人、みなさんの環境も様々かと思います。ぼくは中学を卒業するまでは、いわゆる実家暮らしでした。父が歯科医だった関係で、一階が病院で二階が住居という造りの家でしたね。幼い頃は家に友達が遊びに来たら、地元の伝統芸能である神楽の真似事をしてみたり、小学校にはいるとファミコンをやったり、家族で大晦日になると紅白歌合戦をコタツでみかんを食べながらみたり。それなりに思い出のある家でした。

高校生になると進学校へいくという名目のもと、学校が隣町だったこともあり、祖父母の経営していたアパートの一室に住み始め、高校生だてらに半ひとり暮らしのような珍しい環境だったため、友達の溜まり場になることもしばしば。テレビがなかったため、夜は勉強のかたわら、ギターを弾いたり、ラジオを聴いたり。真夜中に家の周りをひとりで散歩してたら地元の暴走族に絡まれて必死で逃げたこともあったなあ(笑)。

大学では一転、寮生活からスタート。九州の縦社会ノリは、先輩の言うことは絶対で、一年生の頃はかなり鍛えられました。お風呂は共同だったため、何人か入ったあとの湯船は垢が浮いて入りたくなかったので、よく友達と銭湯へ行ったり。 土曜日はなぜか毎週カレーとコーヒーが寮の食事の定番だったことも懐かしい思い出。寮から軽音楽部の部室に自転車を漕いでいくのですが、カゴにはラジカセを裸のままいれて運び、部室にはいると爆音でロックを流して、それに負けずに大声で歌うという独自の練習をしていたような・・・。

大学に入り、ますます音楽にのめり込んだ僕は大学を中退して東京へ移住、下北沢のアパートを借りて文字通り新生活をスタート。東京では下北沢エリアに8年、結婚してから練馬に築50年の一軒家を借りてそこに9年住みました。借家とはいえ、広い一軒家での生活は友達もよく泊まりに来たりして楽しかった。お正月には友達が集まって書初め大会をしたり、いろんな夢を分かち合ったものです。

これまでの人生で住んだそれぞれの家に思い入れや楽しい思い出があります。けれど40代なかばに差しかかったいま思うことは、思い出は素晴らしいが永遠ではない、ということ。生まれ育った実家も、父が亡くなって数年後、売却され、いまは全然違う施設が建っている。慣れ親しんだ街も友達もやがては移り変わってゆくもの。

聖書に出会って最初に目をとめたのは「最後まで残るもの」という箇所でした。 世の中がどんなに移り変わっても、最後まで残るものが信仰と希望と愛である、と。そして神を信じるものに約束された永遠の命を過ごす場所、それは天国。 生きてる限り、日々の細かなストレスや葛藤、心の戦いは誰にだってある。けれど、そんな僕らに聖書は永遠の世界に目をあげよ、と勧める。この世の思い煩いで心を奪われてはならない、やがて永遠をすごす天の御国のことで心を満たされるようにしなさい、と。

人間の歴史はいつの時代も土地の奪い合いや権力闘争が絶えたことはない。その都度ぼくが思うのは、自分が生まれた土地や田舎に愛着をもつことは素晴らしいことだけど、執着しすぎるのは罪だなということ。クリスチャンとして、救われた者としては、あくまでも「土着」ではなく、「天着」の精神でいたいなと思うのです。どんな土地、どんな家に住んでいようと いつも天の御国で心満たされ、この世に生かされる限り、いつも喜び、たえず祈り、すべてのことに感謝していられたら。

いつか本当のふるさと、「神の家」に住まう日を夢見つつ。
人生はまさにGOD ONLY KNOWS!

この続きはまた次回のコラムで。 ☆chiyo☆

 

chiyo

chiyo

ロックバンド「サルーキ=」のボーカリストとして2003年テレビ朝日ミュージックよりデビュー。これまでに8枚のオリジナルアルバムを発表し、最新作「忠実のロックンロール」は伝説のシンガーソングライター小坂忠氏の監修のもと制作された。渋谷公会堂、日比谷野音などの単独ライブを経て、現在も国内外で年間120本のライブ活動を続けている。

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