「キリストは王である」は一部の白人ナショナリストが望むスローガンではない

「イエスの主権は、イエスを利用して自らの王権を主張する者にとっては良い知らせではない」

神学者であり「クリスチャニティ・トゥデイ」編集長も務めるラッセル・ムーア氏は、自身のニュースレターで「『キリストは王である』というスローガンは一部の白人ナショナリストが使っているような意味ではない」と指摘した。

きっかけは昨今のアメリカ国内における反ユダヤ的な言論に由来する。3月中旬、アメリカの保守系ニュースサイト「デイリー・ワイヤー」でコメンテーターを務めていた作家キャンディス・オーウェンズ氏が、番組内で反ユダヤ的な発言をしたとして解雇。さらに「デイリー・ワイヤー」設立者の一人であるユダヤ人のベン・シャンピロ氏への反論としてこのスローガンをネット上で使用したことにより波紋を呼んだ。

現在アメリカ国内では「グロイパー」と呼ばれる極右活動家ニック・フエンテス氏を中心としたSNS上で過激な政治的発言を繰り返す集団が積極的に活動しており、本フレーズも彼らによって拡散・増幅された模様。その内容は「キリストは特定の集団(この場合非ユダヤ人)の王である」というもの。それはユダヤ人を共同体から排斥する意味で用いられた。

これらの動向に対しムーア氏は三つの命題を提示。一つは良いニュースとして「キリストは確かに王であること」、もう一つは悪いニュースとして「キリストはユダヤ人であること」、そして最後に最も悪いニュースとして「キリストはあなたが思っているような王ではない」。

キリストは古代ローマ皇帝カエサルのように強権と野心による統治ではなく、また特定の人々のために存在しているのではなく「見よ、神の国はあなたがたのただ中にある」(ルカによる福音書17章20節)と普遍性を主張した。さらに「キリストは王である」というフレーズも正確には「ユダヤ人の王」(マルコによる福音書15章26節)という看板の銘文が十字架に掲げられていたのであり、それは罪状と恥辱を意味するものであった。

そしてそれらを身に引き受けたキリストが王であるというのは「現秩序の願望やパワーゲームの磁石というものを否定するものである」とムーア氏。「もし神の国が、私たちが定義するような意味での外面的な適合や民族のメンバーシップ、あるいはよく言う社会的な『勝利』に関わるものであるなら、イエスは周囲の群衆から(ヨハネによる福音書6章15節)、あるいはペテロに剣の腕前を教えることによって(マタイによる福音書26章52~54節)、そのすべてを受け入れることができただろう」

またムーア氏は「私たちは以前にも(歴史的に)同じ状況を耐えしのんできた」と述べ、「キリストは王であるという叫びは真実だからこそ、決して悪魔的な王権で空くしてはならない」「もしイエスが反ユダヤ主義者だったら、私たちを救うことはできない。イエスも私たちと同じ罪人なのだ。さらに、もしイエスが反ユダヤ主義者だったら、自分の聖書を読むことも、鏡を見ることさえできないだろう」と反論し、「ねじれた十字架はただの鉤十字(ナチスのシンボル)であり、それは十字架ではない」と結んだ。

(翻訳協力=福島慎太郎)

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