【出会い・本・人】核・原発問題との出会い【本のひろば.com】

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評者: 久保文彦

福島原発事故後、日本のカトリック教会は脱原発メッセージを公表し、その解説書を刊行した(『今こそ原発の廃止を』カトリック中央協議会、二〇一六年)。私は本書の編纂委員会に招集され、本文の分担執筆と編集作業に参加する機会に恵まれた。
原発問題に関する研究履歴のなかった私が、本書の刊行事業に加わった動機の一つは、大学三年時のチェルノブイリ原発事故(一九八六年)の記憶が蘇ったことにある。事故後に原発の是非をめぐる議論は活発化し、原発廃止を求める声は大学でも上がった。だが、その声は「日本の原発では巨大事故は起こりえない」と宣伝する原発推進派の主張を突き崩せなかった。
核兵器の製造技術を応用した原発を推進した人々は大卒・大学院卒の社会的エリートである。その意味で、繰り返された原発巨大事故は、大学の学術への信頼を失墜させた出来事である。大学を研究拠点とする私には、核技術に魅了された人間のあり方を批判的に考察する責任があるように思われた。
もう一つの動機は、原発が人命を犠牲にするシステムである事実を事故から突きつけられたことにある。東京都民の私は東電福島原発の電気で暮らしてきた。預言者アモスは、人命の犠牲を容認する生活を送りながら、神を礼拝するイスラエル指導者の罪を告発したことで知られる(アモス二・八)。アモスが批判した人々の姿は、人口密集地に建てられず、被曝労働者を生み出し続ける原発の電気を利用しながら都内の大学で学び、都内の教会で祈ってきた自分の姿に重なった。
その時に迫ってきたのは「あなたはどこにいるのか」(創世記三・九)という言葉である。「あなたの研究や教会生活にはそもそも何の意味があるのか」。そのように神から問われていると感じた。本書の編集に関わった時間は、人間を生かす究極の根拠がどこにあるのかを考え直す時間、回心の時間となった。
(くぼ・ふみひこ=上智大学基盤教育センター講師)

久保文彦

くぼ・ふみひこ=上智大学基盤教育センター講師員

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