想像を絶する犠牲者を出して敗戦を迎えた日本は、「もう二度と戦争はしない」と決意し、国民が主権者となり、平和な社会を築こうと歩み出しました。あれから76年、私たちの社会は、政治はどうでしょう。今こそ、戦争を体験した先達の声を聴き、過ちを繰り返さないために私たちができることを考えてみよう。
きれいなお星さま!
私の記憶は6歳の時に自分が死ぬと自覚したことに始まっています。
1945年3月9日の夜半、父に起こされました。「空襲警報だ。すぐに教会堂に避難しよう。」起こしたのがいつもの母ではなく父だったのは、その2日前に赤ちゃんが生まれて、母は起きられなかったからです。起こされて、窓際に立った私は「きれいなお星さま!」と言いました。赤や黄色の光が夜空一面に降っているのです。父は赤ちゃんを抱いた母を支え、私と3歳の妹を促して隣の教会堂に連れていきました。コンクリート作りの教会堂は、他よりも丈夫そうに見え、近所の人たちも避難してきましたが、警棒団の人が見回りにきて、ここは燃える、もっと安全なところに逃げろというので、大半の人は去っていきました。
東京の下町に始まった東京大空襲は、下町を燃やし尽くし、山の手の本郷の教会の近くまで燃えてきていたのです。教会堂に残っていたのは、私たちの家族と、病人のいる家族など、10人くらいでした。やがて、隣の牧師館を見に行った父が「もう牧師館も燃えている」と言いました。その瞬間、私は「園子ちゃんが焼け死んじゃった」と思ったのです。園子ちゃんというのは、私が大事にしていた人形で、どこに行くにも抱えていたのですが、その晩は、生れたばかりの赤ちゃんに人形がなくてかわいそうだから貸してあげると、赤ちゃんの枕元に置いてきてしまったのです。自分の分身ともいえる園子ちゃんが焼け死んだということで、自分も焼け死ぬのだと直感しました。
星が追いかけてくる
壁の掲示板の紙が熱風で動いているのを眺めていた私を父は抱き上げ、妹と2人を膝に乗せ、自分のオーバーですっぽり頭から包んで、こう話しだしました。「伶子と祐子は今から天国に行く。いま、神様が大きな美しい羽根を作っていらっしゃって、伶子たちはその羽根を付けて天の使いになって、天国の野原を飛ぶんだ。天国の野原はきれいな花が咲いていて、鳥が楽しく歌っていて、とても素晴らしい。何も怖いことはない」それから、いつも寝るときに歌ってくれていたブラームスの子守歌を歌ってくれました。父のオーバーにくるまれ、父に抱かれて、子守唄を聞いているうちに、真夜中のことでもあり、私は眠ってしまいました。
目が覚めた時には、教会の周囲は全部焼け落ち、人が焼けた匂いがしていました。その晩に、10万人以上の人が焼け死にました。私が3歳までいた亀戸の教会では、兵隊に行っていた数人を残して、みな焼け死んでしまいました。いつも遊んでいた同じ年の男の子はお母さんと一緒に死に、4つ上のお兄さんは学童疎開で生き延びたものの孤児になり、浮浪児になったと聞きました。
空襲のあと、大人の人たちに「怖かったでしょう」と聞かれると、「怖くなかった、眠っていた」と答えた私でしたが、たびたび星に殺される悪夢に脅かされていました。星が光の槍をもって私を追いかけてきます。どこに逃げても星は入り込んできて、やがて首に槍をつきつけるのです。その熱さにギャッと叫んで目を覚ますと、母が「また悪い夢を見たの」と言っていました。夜空の星を怖がらずに見上げられるようになったのは中学に入ってからでした。
心に響いた新しい憲法
中学で習った『あたらしい憲法のはなし』は非常に印象的でした。「恐ろしい戦争が終わりました」と始まり、戦争に行った「お父さんやお兄さんは無事にお帰りになったでしょうか」と先生が読むと、前の席の子のセーラー服の肩が小刻みに揺れていました。お父さんが戦死した友人で、泣いているのです。こういう中で、社会科のテストでは日本国憲法前文と第9条の暗記テストがありました。難解な言葉もありましたが、「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起ることのないように」とか「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、我らの安全と生存を保持しようと決意した」という部分など、心から同意できるものでした。そのために、私たち国民が主権者であり、選挙を通して自分の願いを実現していくのだということも習い、20歳になるのを待ち焦がれました。
主権者としての自覚を
いま、日本は戦争をする国に向かって進んでいます。それに対して、国民主権を自覚する人が少なく、一部の政治家に任せる気風が世の中に蔓延しています。子どもが死を自覚するとか、死におびえるという社会をもたらすことは絶対に許せません。世界から戦争をなくすと同時に、日本が戦争をする国にならないよう、主権者としての自覚を深めたいと思います。
*『あたらしい憲法のはなし』
日本国憲法が1946年11月に公布、1947年5月に施行されると、当時の文部省は新しい憲法を解説するための中学1年生向けの教科書を発行しました。憲法の精神や内容を平易な言葉やイラストで説いた親しみやすい教科書でしたが、数年で廃止されました。現在は、復刻版が出され、またインターネットなどで読むことができます。
*鈴木伶子さんは8月5日に逝去されました。
出典:公益財団法人日本YWCA機関紙8月号より転載
https://www.ywca.or.jp/pdf/2021/ywca_763.pdf
YWCAは、キリスト教を基盤に、世界中の女性が言語や文化の壁を越えて力を合わせ、女性の社会参画を進め、人権や健康や環境が守られる平和な世界を実現する国際NGOです。
【訃報】 鈴木伶子さん(日本キリスト教協議会元議長、日本YWCA元理事長)