今年もハッジ(大巡礼)の季節が終わった。ちなみにハッジの主たる儀礼がひと通り終わるのは毎年、イスラーム暦の12月10日。今年、西暦では6月17日にあたった。
サウジアラビア政府ハッジ省によれば、1880年代には4万人足らずだったハッジ巡礼者人口は、1940年代後半から10万人台を記録し始め、1960年代のマッカ(メッカ)における聖モスク大改修工事をきっかけに急増した。1970年代中盤から100万に手が届き始め、現代のハッジ巡礼者人口は200万に及ぶ。
今年のハッジでは酷暑により多数の巡礼者が亡くなったが、現代における巡礼地の関連施設、インフラ設備、交通手段の飛躍的発展を見る前は、ハッジの儀礼を行う場所である聖地マッカにたどり着くこと自体が、至難のわざだった。
20世紀初頭までは、西アフリカのナイジェリアやモーリタニアなどであれば、ハッジの時期の1年前には自国を旅立つ必要があった。たとえマッカに無事たどり着けたとしても、ハッジの時期を逃してしまうということも珍しくはなかったらしい。そんな時にはジェッダ辺りで仕事を見つけ、働きながら翌年まで待つ、などということもあったのだという。
現在では、アラビア半島から遠く離れた日本からでも、やる気になれば10日間ほどでハッジ巡礼の旅程を収めることが可能になった。ハッジの実際上の儀礼は、1週間足らずで終了する。
今年、日本からハッジに参加した巡礼者数は120名ほどとされる。
サウジ政府は各国に、そのムスリム人口数に応じたハッジ巡礼ビザ数を割り当てているので、それが日本向けのビザ割り当て数と見てほぼ間違いない。今年、サウジ政府が発給したハッジ巡礼ビザ総数は約183万。最大発給国は、2.4億人という世界最大のムスリム人口を誇るインドネシアで、24万である。
インドネシアは「ハッジ熱」も高い。大きな経済成長もそれに拍車をかけているのだろう。費用の約4割を負担してくれる政府系のハッジ・ツアーだと、地方によって異なるが、最短でも16年、最長で38年「順番待ち」をすることになるのだという。もちろん年長者が優先だ。民間のハッジ・ツアーだと順番待ちは比較的短くなるものの、費用は日本から行くのとあまり変わらなくなる(最安値クラスでも百数十万円)。
ということで、今年120人ほどしかいなかった日本からのハッジ巡礼者のほとんどが滞日インドネシア人、という面白い現象が起きる。インドネシア人ムスリムは、現在約27万人いるという日本のムスリム人口の約44%を占めている。このように、自国でのハッジ事情に難を見出すムスリムは、それよりマシな状況の第三国からハッジを試みるという手段を取ることも珍しくない。
なお、日本のような「ムスリム少数社会」に対しては時折、サウジ宗教省などの公的な筋やその他の筋からの「招待ハッジ」のチャンスがある。これはサウジへの渡航費、サウジ国内での交通費、宿泊費、食費などすべての費用が無料というもの。ある種の国のムスリムたちから見れば、夢のような代物に違いない。
さいーど・さとう・ゆういち 福島県生まれ。イスラーム改宗後、フランス、モーリタニア、サウジアラビアなどでアラビア語・イスラーム留学。サウジアラビア・イマーム大卒。複数のモスクでイマームや信徒の教化活動を行う一方、大学機関などでアラビア語講師も務める。サウジアラビア王国ファハド国王マディーナ・クルアーン印刷局クルアーン邦訳担当。一般社団法人ムスリム世界連盟日本支部文化アドバイザー。