東京キリスト教学園名誉理事長の吉持章氏の合同葬 多くの献身者を生み出した豪傑にして繊細な伝道者

 

東京キリスト教学園名誉理事長の吉持章(よしもち・あきら)氏の合同葬(同学園と遺族による)が24日、東京基督教大学チャペル(千葉県印西市)で執り行われた。日本同盟基督教団、日本福音同盟(JEA)、いのちのことば社の理事長も歴任した吉持氏は、先月14日、83歳で召天した。

式前挨拶をする吉持日輪生氏

司式は次男の吉持日輪生(ひわお)氏(日本同盟基督教団・茨木聖書教会牧師)。前奏(バッハの「神の時は最上の時なり」)の後、「私の望みは主イェスだけにある」(教会福音讃美歌359番)を全員で賛美した。

その後、「なくした銀貨」のたとえ(ルカ15:8~10)を孫の吉持尽主(つくす)氏(同教団・山形恵みキリスト教会牧師)が朗読。今年、正教師になったばかりだが、章氏は入院の前、その牧師三代目の誕生の按手(あんしゅ)に立ち会い、孫の頭に手を置いて祈った。また入院後にも、初めてのひ孫誕生という喜びがあり、最後まで意思疎通ができる状態で、最後は夫人や子や孫に見守られながら安らかに息を引き取ったという。

チャペル入り口前に設置された葬儀案内版

大和昌平(やまと・しょうへい)氏(同大学副学長)の祈りのあと、長女の真恵美(まえみ)氏の夫である菊池良一(きくち・りょういち)氏(同教団・南柏聖書教会牧師)が略歴を紹介したが、その時、吉持氏の人柄を次のように述べた。「一見、その道の親分にも引けを取らない豪傑(ごうけつ)に見えながら、実は繊細(せんさい)で、人なつっこくて、少年のような、また自分の信仰に対しては妥協のない、雲一つない人でもありました」

続いて山口陽一(やまぐち・よういち)氏(同大学学長)が「見つけるまで探し続ける人」と題して説教を語った。日本キリスト教史を専門とするだけあって、ある時は神学校時代の吉持氏の入信の証し、同僚に送った手紙などを引用し、ある時は、各教会でどれだけの人を信仰に導いたか、新しい伝道者を生み出したかという具体的な数字を上げていく。そのようにして、吉持氏の「失われた人を捜し続ける」伝道者としての歩みを陰影豊かに浮き彫りにし、それこそ吉持氏が回心の時に出会った「失われた人を捜し続ける」神の愛に押し出されたものだと語った。

吉持章氏思い出の品の数々

「独りの御子を」(新聖歌88番)を賛美したのち、故人の思い出を赤江弘之(あかえ・ひろゆき)氏(同教団・西大寺キリスト教会牧師)と多胡元喜(たご・もとよし)氏(いのちのことば社名誉会長)、吉持氏から洗礼を受けて牧師になった48人のうちの一人である林明信(はやし・あきのぶ)氏(同教団・那覇めぐみ教会牧師)が語り、その人間味のある牧会者としての人となりを明らかにした。

赤江氏は自身の経験を振り返る。「私たちが単立教会のとき、『同盟教団に加入しても損ばかりだよ』という意外な誘いの言葉をかけられ、加入してからも『私は嘘(うそ)をついていない』と言われましたが、本当にそうでした(笑)。二十数年、毎月毎週のように岡山から上京し、飛び回るようになって、教会員をきめこまやかに牧会する時間がなくなるほど忙しくなりました。その代わり、吉持ワールドの人脈の広さの中に私を入れてくださり、同労の牧師やいろいろな人、娘の結婚相手までも紹介してくれました。小畑進先生は吉持先生を、豊臣秀吉のような『今太閤(いまたいこう)』と呼ばれていましたが、私もそう思います。先生はいつも『御国が来ますように』と書かれますが、神の国の建設のために用いられたのです」

最後に、倉沢正則(くらさわ・まさのり)氏(同大学元学長)が祈り、全員で「この世の嘆きと悩みを越えて」(教会福音讃美歌431番)を賛美して、頌栄、終祷(廣瀬薫同教団理事長)ののち、後奏(バッハ「汝の御前に我いま進みいで」)をもって合同葬は締めくくられ、節子夫人と廣瀬氏が挨拶(あいさつ)をした。

東京基督教大学チャペル内の様子

吉持氏は1936年、愛知県岡崎市生まれ。17歳の時、大工見習いをしていたが、人の矛盾を憂い、ヤクザになろうと岡崎城公園をさまよっていると、スウェーデン宣教師による天幕集会が行われており、そこで初めて福音を聞いて回心、松田政一(まつだ・まさいち)牧師から洗礼を受けた。

59年、日本クリスチャン・カレッヂ(現・東京基督教大学)の第4期生として卒業後、日本同盟基督教団・愛宕山(あたごやま)教会(愛知県)の伝道師に。62年に正教師となると、63年から浜松中沢教会(静岡県)、75年から茨木聖書教会(大阪府)、89年から平和台恵教会(千葉県)、2011年から館山教会(同)の牧師を務めた。館山教会の時には75歳だったが、「神の召しにはどこでも、いつでも、何歳でも応えるべき」と決意を語っていたという。

65年に教団内に国外宣教部を立ち上げ、72年、浜名湖バイブル・キャンプ場設立に関わり、80年のビリー・グラハム国際大会では全国総務を務めた。87年から17年間、東京キリスト教学園理事長・学園長として、学園を東京都国立市から千葉県印西市に移転させ、90年には、日本初の福音派による4年生神学大学、東京基督教大学の設立に尽力した。2005年に名誉理事長。

96年から4年間、日本同盟基督教団の理事長、98年から2年間、日本福音同盟の理事長、2003年から15年間、いのちのことば社(スウェーデン同盟キリスト教団)の理事長、2006年から11年間、ワールドビジョン・ジャパン監事を務め、教団だけでなく福音派の超教派の働きにも貢献。96年、米国バイオラ大学より名誉神学博士号が授与され、18年には福音功労賞(日本福音振興会)を受賞した。

61年、日本ホーリネス教会福音使の吉持久雄氏の娘だった宣子(のぶこ)氏と結婚し、鈴木姓から吉持姓になるが、2004年に死別。翌年、節子(せつこ)氏と再婚した。子どもは先述の長女、真恵美氏と元ネパール医療宣教師で医師の長男、厳信(げんしん)氏、次男の日輪生氏。孫7人、ひ孫一人に恵まれた。

雑賀 信行

雑賀 信行

カトリック八王子教会(東京都八王子市)会員。日本同盟基督教団・西大寺キリスト教会(岡山市)で受洗。1965年、兵庫県生まれ。関西学院大学社会学部卒業。90年代、いのちのことば社で「いのちのことば」「百万人の福音」の編集責任者を務め、新教出版社を経て、雜賀編集工房として独立。

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