臨済宗の「雛僧教育」――変わる専門教育の場 東島宗孝 【宗教リテラシー向上委員会】

宗教組織における法の伝授・学習方法はさまざまであるが、その学習の場は社会情勢と関連しつつ変化している。例えば、宗門大学での教育が続けられる一方で、2023年末には曹洞宗では僧侶が修行を行う場である僧堂が2カ所の閉鎖、カトリックでは福岡カトリック神学院の統合など教団の専門教育の場が縮小する傾向も見られる。このような変化は筆者が調査対象にしている臨済宗にも起き、それは「雛僧教育」の問題として捉えられてきた。

「雛僧教育」は2000年代以降重視されるようになり、事前知識を持って修行に臨むことが臨済宗14派のいくつかの宗派で推奨されている。「雛僧教育」は字義通り、初心者または掛塔(かとう、入門)前の僧侶の教育を表す言葉である。早い時期の取り組みとしては妙心寺派が刊行した漫画『青春のセレクト 現代雛僧要訓』(2002年、チクマ秀版社)がある。同書では進路に迷う寺の子を主人公に、駆け出し僧の生活や心構えを描かれた。2005年には、同派の教学審議会や師家(しけ、修行僧の指導をする高僧)が集まる僧風刷新会議で掛塔前教育の不足に焦点が当てられた。

 

「掛塔前講習会」という取り組みも行われるようになった。2024年現在までに13派中4派で行われている。例えば、南禅寺派の講習会では雲水(うんすい、修行僧)用の衣や袈裟の着方、読経、坐禅、「僧堂の1日と1年」と題された講座などが設けられ、修行に必要な基礎的内容が具体的に教えられている。このような僧堂生活に必要な知識や作法を身に着ける場が、宗派の本山によって用意されるようになった。

では、なぜこのような「雛僧教育」が必要となったのか。その大きな要因とされるのは「小僧」という存在の消滅である。小僧は丁稚奉公のように親元を離れ、寺院に預けられた青少年のことを指す。小僧の消滅について2005年10月1日付『中外日報』に掲載された、妙心寺派の清田保南・瑞龍(ずいりょう)僧堂師家の対談中の発言は小僧出身者の役割を端的に説明している。「雛僧教育も重要だね。昔は小僧寺の出身がたくさんいて、おなじ雲水の中でもバリバリ筋金入りという感じだった。そういう連中が同夏(どうげ、同時期に掛塔した僧)でも先生役でね、僧堂が自然にうまく回転するようにできていた」。また、2007年の妙心寺派僧風刷新委員会では親子間での「雛僧教育」の不可能性の指摘、幼いころから「本物(の禅僧)」に触れる必要性などの意見が出ている。このような見方から、一部では「総小僧制度」のように小僧制度の復活も唱えられた。小僧制度の消滅と家庭内の雛僧教育の限界が、掛塔前講習が必要だという認識につながったといえる。

「掛塔前講習会」は現代において寺院外と大差ない家庭環境と学校教育を受けてきた掛塔者たちに対応した宗派の取り組みといえる。一方、これは小僧教育と僧堂に共有されてきた「身体化する修行」に対し、講座で具体的作法を言葉で教える「マニュアル化された修行」の積極的な導入ともいえる。ただし、臨済宗は14派に分かれているのみならず、宗派内の各僧堂の方針は管理する師家の裁量によるため、各々の独立性が高い。さらに修行僧は掛塔する僧堂を選ぶことが可能である。現在推進されている「雛僧教育」に各僧堂が準拠するにしろ、しないにしろ宗派内の多様性が生まれたという意味で、修行僧にとってはよい傾向なのかもしれない。

ともかく、社会情勢や宗教家の子弟の性質の変化は、各宗教の専門教育の変容と密接に結びついているといえそうだ。

東島宗孝(宗教情報リサーチセンター研究員)
 ひがしじま・しゅうこう 1993年神奈川県生まれ。東洋英和女学院大学大学院死生学研究所。論文に「「伝統」としての禅の解釈と軋轢――臨済宗円覚寺における泊りがけの坐禅会の事例から」(『人間と社会の探求』)がある。

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