カトリック信徒以外でも聖餐にあずかれる? 山岡三治 【教会では聞けない?ぶっちゃけQ&A】

Q.カトリック信徒がプロテスタントの教会で聖餐にあずかれるのに、何故その逆はできないのですか?(20代・女性)

バチカンのエキュメニズム指針「キリスト者の一致」(1995年)によれば、カトリック教会は祝福されたパンとぶどう酒をプロテスタント信徒に授与することを認めておりませんし、またカトリック信徒がプロテスタント教会のパンとぶどう酒(ぶどう液)にあずかることも許可していません。正教会への信徒には、その地域で正教会の司祭が不在の場合は授与を認めています。

カトリック教会や正教会にとって、祝福されたパンとぶどう酒はきわめて重要で、単なる食事とは異なります。それは運命をともにする限定された弟子たちの共同体のためのものであり、その共同体の一致のための儀式です。それゆえ、まだ聖餐の理解や聖職者の任免権などで一致が目に見えて実現していない教派の信徒には与えることができないのです。

そう聞きますと、きわめて狭隘で閉鎖的だと思われるかもしれませんが、聖餐式で祝福されながら、授与されずに残されたパンの取り扱いからも違いが見えます。カトリック教会では大切に聖櫃(せいひつ)に保存されて病人らへの授与に備えます。礼拝堂におかれた聖櫃は人々を神へと心を向けさせる手段ともなり、聖体讃美式が行われたりしています。

パンとぶどう酒は神から受ける恵みを表していますが、単なる心身の信仰的養いではなく、神からの召命・派遣を受け入れることで、キリストが受けた運命や犠牲を受け入れる決意が要求されています。ですからキリストについて知識のない非信者には与えませんし、ある教派が非信者にも与えることについては、同じ共同体とは見なすことができないのです。その意味でカトリック信徒はとりわけ厳粛にパンとぶどう酒にあずからなくてはならないのですが、現実のところはカトリック信者であっても、個人的に「恵みにあずかる」ことばかりに注目して、キリストの運命を勇気をもって生きる信仰の段階にまで理解できている人は少ないのは残念なことです。

*本稿は既刊シリーズには未収録のQ&Aです。

やまおか・さんじ 1948年東京生まれ。慶應義塾大学(経済)、東京教育大学(文学)、上智大学(神学·神学研究科)を経てグレゴリアーナ大学(ローマ)で神学博士。アメリカ、中国、イタリア、フランス、広島などでの宣教·司牧経験の後、上智大学神学部教授、学校法人上智学院総務担当理事を歴任。カトリック・イエズス会司祭。

【既刊】『教会では聞けない「21世紀」信仰問答I -まずは基礎編』 上林順一郎監修

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