いざという時の備えを無駄にする勇気【聖書からよもやま話634】

主の御名をあがめます。
皆様いかがおすごしでしょうか。MAROです。

本日もクリプレにお越しいただきありがとうございます。

聖書のランダムに選ばれた章から思い浮かんだよもやま話をしようという【聖書からよもやま話】、今日は旧約聖書、列王記第二の4章です。よろしくどうぞ。

列王記第二 4章9節

アマツヤは神の人に言った。「では、イスラエルの部隊に与えた百タラントはどうしたらよいのか。」神の人は答えた。「主は、それよりも多くのものを、あなたにお与えになることができます。」
(『聖書 新改訳2017』新日本聖書刊行会)

アマツヤという王様は戦争のために大金を払って10万人の兵士を雇いました。しかし、神様は言いました。「その10万人の兵を戦に出してはいけないよ」アマツヤは答えました。「え、でもそしたらその兵士のために払ったあの大金がもったいないじゃないですか」

僕たちは様々なことに対して備えをします。そして備えをすると、それを使いたくなってしまうものです。せっかく備えておいたのにそれを使わないと、なんとなく「損したなー」なんて気持ちにもなってしまうものです。アマツヤも同じでした。戦に備えてたくさんの予算を費やして軍備をしたのに、それを使わないのはもったいない!と思ってしまったのでした。しかし、それに対する神様の答えは「そんなのは気にするな。もっと多くのものを君に与えるから」です。

備えることは大切ですが、その備えを必要ない時には使わない勇気はもっと大切です。今の日本では国防のための予算が増えています。国を守るために備えをすることはもちろん大切なことです。しかし、心に留めておかなければいけないことは、人間は備えをすればそれを使いたくなってしまう、使わないともったいないと思ってしまう、そんな気持ちが必ず生ずるということです。災害のための備えなら、つい保存食を食べてみたくなって食べてしまってもそれほど問題はないですが、国防のための備えをつい使いたくなって使ってしまった、なんてことは決してあってはなりません。

備えはしても、必要のない時には決して使わない。「使わない勇気」それが備えをする者、とりわけ軍備をする者が忘れてはならない心がけです。

僕も「非常食用に」買い貯めておいたカップラーメンをつい食べたくなって、夜中に食べてしまうことがあります。そして太るわけです。後悔するわけです。わかっているのに、「せっかく買ったんだから食べなきゃ」なんて自分に言い訳をして、そんな過ちを何度も繰り返してしまうわけです。買う時には「これは非常の時にしか食べないぞ」と固く決意しても、ついつい食べてしまうわけです。そのくらい、備えを使わない勇気というのは難易度の高いものなんです。

僕は、国を守るために備えをすることには反対しません。でもその備えをする以上、それを必要のない時には決して使わない決意と勇気を、為政者のみならず、一人一人の国民にも持っておいて欲しいと思っています。備えというのは悪いことが起こった時に使うものですから、使わずに「無駄」になるのなら、何も悪いことが起こらなかったということなんですから、それが最高の結果です。備えを使わなかったときに「無駄になったじゃないか!」と損したような気持ちになって誰かを責めるのではなく、「使わなくて済んだね!最高だね!」と思えるように僕自身もなりたいと思います。

それではまた次回。
主にありて。

MAROでした。

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横坂剛比古(MARO)

MARO  1979年東京生まれ。慶応義塾大学文学部哲学科、バークリー音楽大学CWP卒。 キリスト教会をはじめ、お寺や神社のサポートも行う宗教法人専門の行政書士。2020年7月よりクリスチャンプレスのディレクターに。  10万人以上のフォロワーがいるツイッターアカウント「上馬キリスト教会(@kamiumach)」の運営を行う「まじめ担当」。 著書に『聖書を読んだら哲学がわかった 〜キリスト教で解きあかす西洋哲学超入門〜』(日本実業出版)、『人生に悩んだから聖書に相談してみた』(KADOKAWA)、『キリスト教って、何なんだ?』(ダイヤモンド社)、『世界一ゆるい聖書入門』、『世界一ゆるい聖書教室』(「ふざけ担当」LEONとの共著、講談社)などがある。新著<a href="https://amzn.to/376F9aC">『ふっと心がラクになる 眠れぬ夜の聖書のことば』(大和書房)</a>2022年3月15日発売。

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