正常性バイアスを正常に働かせる【聖書からよもやま話616】

主の御名をあがめます。
皆様いかがおすごしでしょうか。MAROです。

本日もクリプレにお越しいただきありがとうございます。

聖書のランダムに選ばれた章から思い浮かんだよもやま話をしようという【聖書からよもやま話】、今日は旧約聖書、エゼキエル書の12章です。よろしくどうぞ。

エゼキエル書 12章2節

彼らは見る目があるのに見ず、聞く耳があるのに聞こうとしない。彼らが反逆の家だからである。
(『聖書 新改訳2017』新日本聖書刊行会)

エゼキエルは神様から預言者に任命されましたが、エゼキエルが一所懸命に「このままじゃこの国は滅びてしまうよ!」と、神様からの伝言を語っても、イスラエルの民は聞きませんでした。それについて神様はエゼキエルに言いました。「彼らは都合の悪いことは見ないし、聞かないよね。彼らは私に反逆しているからね。」

民たちはたぶん、悪気があったわけではないのかと思います。自分たちの生活が、神様に対して正すべきところの多々あるものであったこともわかっていたのかと思います。しかし、それでいて「とはいえ、ご先祖さまたちだって僕たちと同じように、完璧な生活をしていたわけじゃない。それなのに、僕たちの時代でだけ、それによって国が滅びると言われても・・・」といった気持ちだったのではないかと思います。

いわゆる正常性バイアスという奴です。「これまでもこれで大丈夫だったんだから、これからも大丈夫だろう」という人間心理です。「災害への備えをしておかなきゃいけないのは分かっているけれど、これまで大丈夫だったんだからそれほど急がなくてもきっと明日も大丈夫だろう」というように、人間は「大丈夫だろう」と思いたがる性質を持っています。しかし、いつの日か大地震が本当にやってくる日が来るのと同じように、神様の堪忍袋の緒が切れる日も、いつかやってきます。その日についてエゼキエルは「本当にまずいよ、本当に来るよ!」と言っていたのですが、人々は「まぁそれはいつか来るのは分かっているんだけどね。でもこれまでも大丈夫だったんだから、明日もきっと大丈夫」と、言うことを聞かなかったわけです。

このように正常性バイアスというのは昔も今も「困りもの」な性質とされるものなのですけれど、しかし、この性質がまったくなかったとしたら、人間は生きていくことができないでしょう。だってこれがなかったら、ありとあらゆるリスクに備えて、ありとあらゆることを万全にしておかなければ心配で心配で仕方がない、というような状態に陥ってしまうでしょうから。人間にはあらゆるリスクに完全に備えることはできませんし、それでいて強い心配や不安の中で長く耐えることもできません。ですから「今日も大丈夫だったから明日も大丈夫」と、ある意味で「目をそらす」ことでバランスをとっています。

もっと言えば、この正常性バイアスなしには、人間は約束一つできません。「明日、またここで会おうね」というシンプルな約束でも、よく考えれば明日にはその相手、あるいは自分自身が病気になるかもしれませんし、もしかしたら死んでしまっているかもしれません。約束というのは「相手も自分も、明日も元気に生きているだろう」という正常性バイアスの上で成り立っています。そして社会というのは無数の約束によって成立するものですから、このバイアスなしには、人間は社会を構成することができないということにもなります。

しかし、神様はこれを「反逆だ!」と言いました。神様は正常性バイアスすべてを反逆だと言ったのでしょうか。それは違います。人間にそういう性質があることを知った上で、「とは言え、最低限これだけは備えておきなさいよ」という警告まで、そのバイアスで無視したことを「反逆だ」と言っているんです。
「海には危険がある」ということは誰もが知っていますが、「それでも私たちは長年、海と共に生活していたんだから今日も船を出す」というのは、正常性バイアスの正常なあり方です。しかし、たとえばもし暴風波浪警報が出ている時なら話は別です。そんな時はさすがに船を出してはいけません。

エゼキエルの預言はこの「暴風波浪警報」だったわけです。それまでも無視したから「おい、さすがにそれはいかんぞ!」と神様は怒ったんです。人が罪を犯すもの、罪を重ねるものであることは神様も知っている上で、「さすがにこれはまずいぞ、いい加減にしないと本気で身を滅ぼすぞ!」という状況だったんです。

お酒の飲み過ぎも、一日や二日ならせいぜい二日酔いで後悔するくらいで済みますが、それを続けていたらいつか必ず致命的に身体を壊す日が来ます。「昨日まで大丈夫だった」といくら言っても、その日が来てしまったら手遅れです。エゼキエルの預言は、そんな飲んだくれが医者から「数値が本当にまずいですから、今日から本当にお酒を控えてください」と警告するようなものだったんです。

現代社会は「あれも危ないぞ」「これも危機だぞ」と多くの警告を発しています。そこにはいわゆる「危険ビジネス」も多く含まれていたりもしますが、その中には本物の警告も少なくありません。現代を生きる僕たちには「本物の警告」を見抜き、「本物の警告」を恐れ、「本物の警告」に備えることが求められています。

自分たちには正常性バイアスがあるのだ、ということを常に認識しておくことが、正常性バイアスを正常に働かせて、健全に付き合うためにまず必要なことかと思います。

それではまた次回。
主にありて。

MAROでした。

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横坂剛比古(MARO)

横坂剛比古(MARO)

MARO  1979年東京生まれ。慶応義塾大学文学部哲学科、バークリー音楽大学CWP卒。 キリスト教会をはじめ、お寺や神社のサポートも行う宗教法人専門の行政書士。2020年7月よりクリスチャンプレスのディレクターに。  10万人以上のフォロワーがいるツイッターアカウント「上馬キリスト教会(@kamiumach)」の運営を行う「まじめ担当」。 著書に『聖書を読んだら哲学がわかった 〜キリスト教で解きあかす西洋哲学超入門〜』(日本実業出版)、『人生に悩んだから聖書に相談してみた』(KADOKAWA)、『キリスト教って、何なんだ?』(ダイヤモンド社)、『世界一ゆるい聖書入門』、『世界一ゆるい聖書教室』(「ふざけ担当」LEONとの共著、講談社)などがある。新著<a href="https://amzn.to/376F9aC">『ふっと心がラクになる 眠れぬ夜の聖書のことば』(大和書房)</a>2022年3月15日発売。

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