「供給の停止」に人間は弱い【聖書からよもやま話612】

主の御名をあがめます。
皆様いかがおすごしでしょうか。MAROです。

本日もクリプレにお越しいただきありがとうございます。

聖書のランダムに選ばれた章から思い浮かんだよもやま話をしようという【聖書からよもやま話】、今日は旧約聖書、出エジプト記の5章です。よろしくどうぞ。

出エジプト記 5章7節

おまえたちは、れんがを作るために、もはやこれまでのように民に藁を与えてはならない。
(『聖書 新改訳2017』新日本聖書刊行会)

モーセとアロンはエジプトのファラオのところに行って、奴隷として働かされているイスラエル人たちの待遇改善を求めました。具体的にはイスラエルの神を崇める祭りをさせるように求めました。つまりモーセとアロンはイスラエル人がイスラエル人であるために必要なことをファラオに求めたということです。

しかしこれを聞いたファラオは怒って「お前たちの仕事に必要な資材を渡さないようにしてやる」と嫌がらせをしました。具体的にはレンガを作るために必要な藁の供給を止めてしまったのでした。これによってイスラエル人たちは仕事に苦労するようになりました。そしてイスラエル人たちはモーセとアロンに「お前たちが余計なことを言ってファラオの機嫌を損ねたせいで僕たちの仕事は大変だ。どうしてくれる。」と怒ったのでした。

最近の日本でもちょっと似たようなことが起こっていますよね。隣の大国の機嫌を損ねた指導者のせいでレアアースの供給が止められてしまったらどうするんだどうしてくれる、という話がメディアでもSNSでも見られます。僕は別にここで、その指導者の発言自体の是非を論ずることはしません。お話ししたいのは、「物資の供給が止まる」ということに対して人間はかなり弱いということです。供給は人間の急所だと言えます。

ですから物資を「人質」にして、相手の主張を封じ込めようということは、国同士に限らず個人レベルでもよく行われています。人間は誰だって食べ物がなければ生きていけません。ですから食べ物を人質に取られてしまえば、どんなに正しい主張だって続けることができなくなってしまいます。現代社会ならエネルギーやお金だって同じことでしょう。仕事の上でフリーランスが弱い立場になりがちなのも、お金の支払いや仕事の発注を人質に取られてしまうと、主張すべきこともできなくなってしまうからです。

つまり、お金や物資は都合の悪い主張を封じ込めるには非常に強い武器であるということです。しかし、だからと言ってお金や物資のために主張を取り下げるのが正しいかと言えば、必ずしもそうではないですよね。もちろん、自分や家族の生活を守るために主張を取り下げることを「それは悪い選択だ!」なんて断罪する気はありません。それだって正しい選択です。とはいえ、それが常に正しいとも言えません。たとえ物理的に苦しい状況に追い込まれるとしても、決して取り下げてはならないものもあります。それはたとえば国家レベルなら主権であったり、個人レベルでは信条や信仰であったりします。

理想的なことを言えば、主張に対して「供給を止める」という形で応じるのはルール違反であり、すべきことではありません。それをしてしまえば健全な対話が行われず、国家レベルでも個人レベルでも不健全な従属関係や搾取関係が生じてしまうからです。しかし現実を見れば、それは国家レベルでも個人レベルでも当たり前のように、まるで息をするかのように行われていることです。「それをすべきではない!」と怒るのは簡単ですが、「それが行われる世界なのだ」という現実を見ることも必要です。

そして、自分がどこまで「供給の停止」を受忍して主張を保つことができるか。その線引きをどこに置くかで主張の強さが決まってきます。「貧しくても寝る場所と少しの米だけあれば十分だ」という人は「今の生活レベルを少しも落としたくない」という人よりも、はるかに手強いものです。

クリスチャンであればどこまで自分の信仰を手放さずに耐えられるか、そうでない方ならどこまで自分の信条を譲らずにいられるのか。よくよく考えてみると、意外と自分が弱いことに気づくかもしれません。でもそこから、本当に自分に必要なものだけをリストアップしていけば、少しずつでも「手強い」信仰や信条を持てるようになるかもしれません。自分にとって何が本当に必要で何が必要でないのか。これを整理しておくことが、いざという時に信仰や信条を守り抜く上で大切なのかと思います。

それではまた次回。
主にありて。

MAROでした。

【おねがい】
クリプレは皆様の献金により支えられています。皆様から月に300円の献金をいただければ、私たちはこの活動を守り、さらに大きく発展させてゆくことができます。日本の福音宣教のさらなる拡大のため、こちらのリンクからどうか皆様のご協力をお願いいたします。

横坂剛比古(MARO)

横坂剛比古(MARO)

MARO  1979年東京生まれ。慶応義塾大学文学部哲学科、バークリー音楽大学CWP卒。 キリスト教会をはじめ、お寺や神社のサポートも行う宗教法人専門の行政書士。2020年7月よりクリスチャンプレスのディレクターに。  10万人以上のフォロワーがいるツイッターアカウント「上馬キリスト教会(@kamiumach)」の運営を行う「まじめ担当」。 著書に『聖書を読んだら哲学がわかった 〜キリスト教で解きあかす西洋哲学超入門〜』(日本実業出版)、『人生に悩んだから聖書に相談してみた』(KADOKAWA)、『キリスト教って、何なんだ?』(ダイヤモンド社)、『世界一ゆるい聖書入門』、『世界一ゆるい聖書教室』(「ふざけ担当」LEONとの共著、講談社)などがある。新著<a href="https://amzn.to/376F9aC">『ふっと心がラクになる 眠れぬ夜の聖書のことば』(大和書房)</a>2022年3月15日発売。

この記事もおすすめ