主の御名をあがめます。
皆様いかがおすごしでしょうか。MAROです。
本日もクリプレにお越しいただきありがとうございます。
聖書のランダムに選ばれた章から思い浮かんだよもやま話をしようという【聖書からよもやま話】、今日は 旧約聖書、ゼカリヤ書の5章です。よろしくどうぞ。
ゼカリヤ書 5章2節
「飛んでいる巻物を見ています。その長さは二十キュビト、幅は十キュビトです。
(『聖書 新改訳2017』新日本聖書刊行会)
このシーンを初めて読んだ時、おもわず「一旦木綿!」と思ってしまいました。一旦木綿というのは「ゲゲゲの鬼太郎」でもお馴染みの日本の妖怪ですけれど、長さ二十キュビトの巻物が飛んでいくのを想像したら、その一旦木綿が飛んでゆく姿と重なってしまいました。一反は約10m、二十キュビトは約9mですからサイズ的にもだいたい合っています。
どことなくユーモラスにも思えるシーンですが、実はこの巻物はとても恐ろしいもので、全地に呪いをかけるものだとされています。その呪いは盗みをする人や偽りの誓いを立てる人を滅ぼすという呪いです。そういう人はこの「一旦木綿」によって滅ぼされてしまうんです。
偽りの誓いというのはどういうことでしょう。シンプルに「嘘をつく」と言ってもいいのかもしれませんが、キリスト教にとって誓いとは一般とは少し違うニュアンスを持ちます。一般社会では割と頻繁に「宣誓書」なんてものを書く機会があったりします。身近なところでは選挙の期日前投票には宣誓書が必要です。しかし、キリスト教では原則として「誓ってはいけない」というルールがあります。クリスチャンが誓うのは洗礼を受ける時や結婚する時など、人生の中で特別に大切なことをするときだけです。人間というのは誓ったところでそれを守ることを100%自分で保証することなんてできないからです。「明日この時間に必ずこの場所に行く」と誓っても、もしかしたらお腹が痛くなるかもしれませんし、なんなら明日その時間に自分が生きている保証もないわけです。ですから「誓ってはいけない」というのがキリスト教の基本ルールです。
しかし、先にも書いたように結婚のときは誓います。つまりいわゆる不倫というのは「偽りの誓い」に該当します。そしてそれは窃盗と同じようにこの「一旦木綿」によって滅ぼされるほどの罪だということです。現代日本の刑法では窃盗は罪に問われる一方で不倫は罪に問われません。しかし聖書は両者を同じように「滅ぼすべきもの」としているんです。
なんだか厳しい話をしましたけれど、今日言いたいことはこの「一旦木綿」のように、聖書のことばを自分の馴染みのあるものに重ねると、聖書の教えが心に留まりやすくなるということです。『ゲゲゲの鬼太郎』で一旦木綿さんを見るたびに「偽りの誓いは盗みと同じ!」と思い出せるわけです。ちょっと「不謹慎」とか「不真面目」なんて思えてしまうかもしれませんが、これも一つの聖書の良い読み方かと思います。「真面目に読まなきゃ!」と退屈して覚えられないよりもずっといいんじゃないかと思います。
さて、一旦木綿さんに怒られないようにこれから水道料金を支払ってきます。支払いが遅れるのも厳密に言えば「盗み」の一つですからね。
それではまた。
主にありて。
MAROでした。
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