問題は乗り越えると小さく見える。【聖書からよもやま話542】

主の御名をあがめます。

皆様いかがおすごしでしょうか。MAROです。
本日もクリプレにお越しいただきありがとうございます。

聖書のランダムに選ばれた章から思い浮かんだよもやま話をしようという【聖書からよもやま話】、今日は  旧約聖書、詩篇の54篇です。よろしくどうぞ。

詩篇 54篇7節

神がすべての苦難から私を救い出し
私の目が敵を平然と眺めるようになったからです。

(『聖書 新改訳2017』新日本聖書刊行会)

行政書士という仕事をしていますと、年度末というのは苦難が多く忙しい時期です。「年度内になんとか手続きを終わらせたい!」とか「4月から新しく事業を始めたい!」とかのお客様の要望が非常に多いので急ぎ仕事も増えますし、それに伴って様々なピンチにも襲われがちな季節です。僕も例に漏れず、先日まで「うぎゃー!!」と幾らかのピンチや苦難に襲われていました。でも神様の助けもあって、今日こうして大きな問題もなく新しい年度を迎えることができました。

苦難というのは、それが目の前にある時は大きく強く、恐ろしい脅威に感じられるものですけれど、それを乗り越えてしまうと「あれ?これってこんなもんだったのか」と小さく見えたりするものです。それを平然と眺めることができたりするものです。しかしそれでも、また次に同じような苦難が襲ってきたときには、また大きく強く、恐ろしく感じられてしまったりもします。不思議なものです。苦難自体は変わらないのに、大きく見えたり小さく見えたりするんですから。

特にそれが「神様の手によって」乗り越えられたときには、その大きさの落差は大きなものになります。苦難というのは「ああ、もう万事休す、自分の手にはどうにもならない!」というときに、思わぬ知らせや出来事によってあっさり解決してしまったりもするものです。そんなときにはあれほど大きかった悩みが、煙のようにすーっと消えてゆきます。この年度末、そんな風に何度か僕もピンチから救われました。そして、その苦難が過ぎてみると、急に冷静になって「なんだ、この手があったのか」とか「こうすればよかったじゃん」なんて問題への分析ができてしまったりするものです。

神様に助けられたこの身、喉元過ぎて熱さを忘れることなく、主への感謝を心に留めて新しく日々を過ごしたいと思います。

幾らかの難局を乗り越えて、新しい年度を気持ちよく迎えられましたこと、主よ、あなたの御名に感謝します。神がすべての苦難から私を救い出し、私の目が敵を平然と眺めるようになったからです。

それではまた。

主にありて。
MAROでした。

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横坂剛比古(MARO)

横坂剛比古(MARO)

MARO  1979年東京生まれ。慶応義塾大学文学部哲学科、バークリー音楽大学CWP卒。 キリスト教会をはじめ、お寺や神社のサポートも行う宗教法人専門の行政書士。2020年7月よりクリスチャンプレスのディレクターに。  10万人以上のフォロワーがいるツイッターアカウント「上馬キリスト教会(@kamiumach)」の運営を行う「まじめ担当」。 著書に『聖書を読んだら哲学がわかった 〜キリスト教で解きあかす西洋哲学超入門〜』(日本実業出版)、『人生に悩んだから聖書に相談してみた』(KADOKAWA)、『キリスト教って、何なんだ?』(ダイヤモンド社)、『世界一ゆるい聖書入門』、『世界一ゆるい聖書教室』(「ふざけ担当」LEONとの共著、講談社)などがある。新著<a href="https://amzn.to/376F9aC">『ふっと心がラクになる 眠れぬ夜の聖書のことば』(大和書房)</a>2022年3月15日発売。

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