主の御名をあがめます。
皆様いかがおすごしでしょうか。MAROです。
本日もクリプレにお越しいただきありがとうございます。
聖書のランダムに選ばれた章から思い浮かんだよもやま話をしようという【聖書からよもやま話】、今日は 旧約聖書、創世記の23章です。よろしくどうぞ。
創世記 23章13節
「もしあなたが許してくださるなら、私の言うことをお聞き入れください。畑地の値の銀貨をお支払いします。どうか私から受け取ってください。そうすれば、死んだ者ををこに葬ることができます。」
(『聖書 新改訳2017』新日本聖書刊行会)
アブラハムは妻サラが亡くなったとき、彼女を葬るための土地を買おうと考えました。しかしアブラハムは土地の人から慕われていたので、その土地の人は「いえいえ。奥さんを葬るための土地ならタダで差し上げますよ」と言いました。しかしアブラハムは「いやいや、ちゃんと支払わせて欲しいんです。どうかちゃんとした対価を受け取ってくださいな」と言い、対価を払ってサラを葬る土地を買いました。
日本人は真面目な民族だと言われていますが、実は「対価を払う」という感覚が希薄なところがあります。「無料」が大好きですし、無料で受け取ったものやサービスの代償に、実は自分が被ってしまっているデメリットに気づいていなかったりもしますし、無料で受け取ったものやサービスに対して強烈なクレームを入れたりさえします。
「無料」とは実はリスクに満ちたものです。たとえばスマホで無料アプリをインストールするとき、多くの場合はたくさんの個人情報の提供が求められます。お金の形での対価の代わりに、個人情報という代償を支払っているんです。「マイナンバーカードで国に個人情報を握られるのは怖い」とか言いながら、相手の顔も見えない無料サービスには喜んで個人情報を提供してしまったりしているんです。
もう一つ「無料」のリスクは責任を問いにくいということです。ボランティアや有志の仕事はあくまでも「好意」によってなされるものですから、そこに多少の不備があってもなかなかそれを追求することができません。途中で仕事を中断されても文句を言いにくかったりします。お金を払って雇った従業員が「気が変わったのでこの仕事はしません」と言えば雇用契約違反になりますが、ボランティアが「気が変わったのでこの仕事はしません」と言っても引き止めることはできません。お金を払った仕事にミスがあれば瑕疵担保責任として金銭的な補償を求められますが、ボランティアの仕事についてはそれは求められないことが基本です。もちろんちゃんとそれなりの契約を結べば可能ですが、ボランティアにそこまで求めることはあまりありませんし、ボランティア側も「そこまで責任を求めるならばお金をください」という気持ちになることでしょう。お金を払って自宅やオフィスに引いたWi-Fiの繋がりが悪ければ怒るでしょうけれど、お店の「無料Wi-Fi」の繋がりが多少悪くても「まぁこんなもんか。仕方ない」と怒る気も起きないでしょう。
アブラハムはこのリスクを嫌ったのかと思います。無料で土地を提供してもらってしまえば、後から「やっぱり気が変わった」と言われかねません。今の地主がそれで納得していても、後継者が「やっぱり気が変わった」と言うかもしれません。そうしたら大切な妻のお墓が保てないことになってしまいます。それでアブラハムは「無料でいいよ」と言われてもわざわざ「いやいや、対価を払わせてほしい」とむしろお願いして対価を払ったんです。
現代日本の多くの教会やキリスト教系団体はこのリスクに無頓着すぎるかと思います。信徒がプロレベルのサービスを教会に提供しても、その人が信徒であるというだけの理由で「奉仕ということで」と対価を支払わない、あるいは極端に安い対価しか支払わないというケースがあまりに多すぎます。アメリカなどの国の教会では教会に提供されたサービスに対してきちんと対価を払っています。だからこそ教会自体のサービスの質も高いんです。たとえば教会の奏楽にしても、アメリカの多くの教会はミュージシャンに対して対価を支払っています。ですからレベルの低い演奏をすれば咎められ、場合によってはクビになります。大きな教会ならそのためのオーディションに多くのミュージシャンが参加します。だからこそアメリカの教会の音楽レベルは日本に比べて圧倒的に高いんです。日本の教会は「奉仕」として無料でミュージシャンに演奏させることがほとんどですから、演奏レベルが低くても文句は言えません。そのレベルで「音楽会」なんて開催しても、一般の人は見向きもしません。
なんだか今日は教会批判みたいになってしまってすみません。もちろん、多くの教会が財政的に苦しく、払いたくても払えない状況にあることは重々承知しています。でもだからこそ、「それは本来はあるべき姿ではないのだ」ということは、頭の片隅にきちんと置いておいてほしいんです。そして「無料のリスク」を少しずつでも減らしてほしいと願っていますし、そうできるだけの財政状況が神様によって与えられることを祈っています。「無料のリスク」によってサービスが低下し、それで人が減り、財政が悪化し、より「無料のリスク」を背負わざるを得なくなる。この悪循環をなんとかして断ち切らなければ日本の信仰のリバイバルは難しいのではないかと思います。
それではまた。
主にありて。
MAROでした。
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