道に迷うのは地図のせいではない【聖書からよもやま話481】

主の御名をあがめます。

皆様いかがおすごしでしょうか。MAROです。
本日もクリプレにお越しいただきありがとうございます。

聖書のランダムに選ばれた章から思い浮かんだよもやま話をしようという【聖書からよもやま話】、今日は 旧約聖書、歴代誌第二の21章です。よろしくどうぞ。

 

歴代誌第二 21章7節

しかし、主はダビデと結ばれた契約のゆえに、ダビデの家を滅ぼすことを望まれなかった。主はダビデとその子孫に常にともしびを与えると約束されたからである。(『聖書 新改訳2017』新日本聖書刊行会)

歴代誌を読んでいますと、どれだけ多くの王たちが神様を捨てて、自分勝手な道を歩んだかがよくわかります。それはまたそれを読む僕たち自身の姿でもあります。僕たちもまた人生において何度も何度も神様の道を捨てて自分勝手な道を歩むものです。

しかし神様はそんな自分勝手な人間も見放しません。常にともしびは灯されているんです。「こっちだよー」という道標は常に与えられているんです。しかもちゃんと見えるところに。

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UnsplashDan Chungが撮影した写真

どれほど親切な道路標識だって、それを見る人を強制的に意図する道に進ませることはできません。「侵入禁止!」とか「通行止!」とかの、かなり強いメッセージの標識でさえ、それを無視して進む人はいます。僕なんてかなりの方向音痴ですから、スマホのナビゲーションを使ってもまったく見当違いの道を進んで迷子になったりします。ちゃんと丁寧にナビゲーションを見ればわかるのですが、急いでいたりすると「たぶんこっちの方が近道な気がする!」なんて、勝手な方向に進んで迷子になるんです。これが方向音痴の特性です。

神様がせっかくナビゲーションしてくれているのに、それを無視したり、理解できなかったり、「こっちの方が近道!」と勝手な判断を下してしまったり。人間とは愚かなものです。でも誰もそれを笑えません。だって誰もがそうですから。

「神様が助けてくれない!」と思う時、「約束の場所に辿り着けないじゃないか!」と思う時、神様を責める前に、自分がちゃんとナビゲーションに従っているかをチェックする必要があります。自分が勝手に変な道を進んでいるだけなのに、「このナビゲーションが悪い!」なんて言ってもしかたありません。神様との関係の中で、神様の「理不尽」を感じることも人生には多々あります。でもそんな時、実は理不尽なのは神様ではなく自分の方なんです。道に迷う時、間違っているのは大抵の場合は地図ではなく自分なのと同じです。

さて、今日はこれから初めてのお客様のところにでかけます。迷子にならないようにきちんと地図を見て進もうと思います。

 

それではまた。

主にありて。
MAROでした。

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横坂剛比古(MARO)

横坂剛比古(MARO)

MARO  1979年東京生まれ。慶応義塾大学文学部哲学科、バークリー音楽大学CWP卒。 キリスト教会をはじめ、お寺や神社のサポートも行う宗教法人専門の行政書士。2020年7月よりクリスチャンプレスのディレクターに。  10万人以上のフォロワーがいるツイッターアカウント「上馬キリスト教会(@kamiumach)」の運営を行う「まじめ担当」。 著書に『聖書を読んだら哲学がわかった 〜キリスト教で解きあかす西洋哲学超入門〜』(日本実業出版)、『人生に悩んだから聖書に相談してみた』(KADOKAWA)、『キリスト教って、何なんだ?』(ダイヤモンド社)、『世界一ゆるい聖書入門』、『世界一ゆるい聖書教室』(「ふざけ担当」LEONとの共著、講談社)などがある。新著<a href="https://amzn.to/376F9aC">『ふっと心がラクになる 眠れぬ夜の聖書のことば』(大和書房)</a>2022年3月15日発売。

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