主の御名をあがめます。
皆様いかがおすごしでしょうか。MAROです。
本日もクリプレにお越しいただきありがとうございます。
聖書のランダムに選ばれた章から思い浮かんだよもやま話をしようという【聖書からよもやま話】、今日は 旧約聖書、詩篇の24篇です。よろしくどうぞ。
詩篇 24篇4節
手がきよく 心の澄んだ人
そのたましいをむなしいものに向けず
偽りの誓いをしない人。
(『聖書 新改訳2017』新日本聖書刊行会)
誰だって「清く正しく美しく」ありたいと願っています。裏金問題を起こした政治家さんだって、最初から「俺は悪徳政治家になるんだグハハハハ」なんて思っていたわけではないはずです。きっと最初は「日本を良くするんだ!正しい政治をするんだ!」と志していたはずです。しかし世にまみれ、権謀術数にまみれるうちに、いつのまにやら裏金問題を起こすに至ったのでしょう。
ブラック企業だってそうです。どんな経営者も最初から「ブラック企業を作るぞ!」なんて思いません。最初は「健全な経営をして、会社を発展させて、従業員もお客様もみんなで幸せになるぞ!」と志していたはずです。それが資金難だとか、人材不足だとか、クライアントの要求だとかにまみれるうちに、いつの間にやら「ブラック企業」になってしまうんです。
人は清くありたい。正しくありたい。しかし世が、環境が、さらには自分の欲望が、清くあることを許さない。そんな葛藤を誰もが抱いてもがいています。あなただけではありません。僕だけでもありません。みんなです。
人間にとって、「清く正しく美しく」あること、あり続けることは非常に難しいことです。僕だってこの詩人のように「清く正しく美しく」ありたいと思っていますが、なかなか正直そうもいかないことだって多々あります。心を空しいものに向けてしまうことだって多々あります。必ずしも約束を守りきれないことだってあります。
ここに記してある「きよく、心の澄んだ人」、つまり「清く正しく美しい」人こそが神様の祝福を受けるのだとこの詩には書いてあるのですが、だとすれば僕はその祝福を受けるに値しません。自分を観察し包み隠さず言えば、謙遜でもなんでもなく、そうです。でもだからこそ、イエス・キリストの十字架と復活に救いを求めるんです。
あの十字架と復活は、「清く正しく美しく」なれない、あらゆる人のためのものです。この詩を詠んだのはダビデ王ですが、ダビデ王だって大きな罪を犯した人です。けっして「清く正しく美しく」あったわけではありません。でもそんな自分を知っていたからこそ、そうありたいと心から願い、神様に助けを求めたのだと思います。ダビデ王だけでなく、多くの人が「清く正しく美しく」ない自分を知り、神様に助けを求めました。その求めに対して神様はイエス・キリストを与え、十字架と復活を与えました。
清くないのはあなただけではありません。人間は誰ひとり清くありません。まわりがみんな清く見え、自分だけが汚れているように思えたとしても、決してそんなことはありません。四方八方が塞がれても、上は空いているもの。天に向かって助けを求めれば与えられます。イエス・キリストは清く正しく美しくない人間にこそ与えられた救いです。
それではまた。
主にありて。
MAROでした。
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