主の御名をあがめます。
皆様いかがおすごしでしょうか。MAROです。
本日もクリプレにお越しいただきありがとうございます。
聖書のランダムに選ばれた章から思い浮かんだよもやま話をしようという【聖書からよもやま話】、今日は 新約聖書、使徒の働きの14章です。よろしくどうぞ。
使徒の働き 14章15節
「皆さん、どうしてこんなことをするのですか。私たちもあなたがたと同じ人間です。
(『聖書 新改訳2017』新日本聖書刊行会)
パウロとバルナバが伝道旅行をしていますと、あるところで人々が二人を「この人たちは神だ!」と勘違いして、彼らに生贄や花輪を献げようとしました。二人は驚きそしてまた怒りもしながら、その人々の中に入って言いました。「みんな、どうしてこんなことをするの!?僕たちもみんなと同じ人間だよ!こんな扱いを受けていいのは神様だけだよ!こんな扱いをされたら僕たちが今までみんなに伝えてきたことは台無しだよ!」
人間って、特別扱いされるのが好きなものです。パーティでVIP扱いをされるのが好きなものです。あるいはレストランで「お客様にだけ出す特別メニューです」なんて料理を出されたら嬉しくなるものです。しかし、人間はみんな同じ。神様の前では等しく罪人でしかありません。本当に特別扱いされるべき人間なんていません。特別扱いされるべきなのは神様だけです。
まして「神」とあがめられ、神と同等の扱いを受けるなんてことは避けなくてはなりません。それは「自らを神とする」という最も重い罪を犯すことになります。しかしこの最も重い罪、これがまた人間の最も陥りやすい落とし穴でもあります。人はどうしても特別扱いされることが好きですし、一度特別扱いをされると、次はもっと特別に、その次はさらに特別にと、際限なくそれを求めてしまうものです。
その点、パウロとバルナバの態度は立派です。それは現代で言えばパーティでVIP扱いされたときに「それはやめてください。他のゲストと同じように扱ってください」と言ったり、レストランで特別メニューが出てきた時に「すみません、他のお客さんと同じものを食べさせてください」と言ったりして、断るようなことです。これができる人はなかなかいません。僕だってそんな扱いをされたら(実際、滅多にされることはありませんが)嬉しくなってその待遇を受けてしまうことと思います。「そのくらいいいじゃないか」と思う方もいらっしゃるかもしれませんが、自分に対して人と違う特別扱いを求めるというのは、「自らを神とする」道への第一歩です。大いなる罪の第一歩をそこで確実に踏み出してしまうことになります。とはいえ、人からの厚意はときには素直に受け取ることも大切かと思います。しかしそれを受け取れば、次にもまた同じ厚意をこちらから求めてしまったりしがちなものですから、決して自分からそれを求めないように、厳に慎まなければならないと思います。
人からの特別扱いを断る勇気。これがクリスチャンに求められているのかと思います。僕たちは人から特別扱いを受けなくたって、あの十字架によって神様から十分すぎるほどに特別扱いを受けているのですから。
それではまた。
主にありて。
MAROでした。
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