主の御名をあがめます。
皆様いかがおすごしでしょうか。MAROです。
本日もクリプレにお越しいただきありがとうございます。
聖書のランダムに選ばれた章から思い浮かんだよもやま話をしようという【聖書からよもやま話】、今日は旧約聖書、創世記の35章です。よろしくどうぞ。
創世記 35章10節
「あなたの名はヤコブである。しかし、あなたの名は、もうヤコブとは呼ばれない。イスラエルが、あなたの名となるからだ。」
(『聖書 新改訳2017』新日本聖書刊行会)
ヤコブは神様から祝福されて、イスラエルという新しい名前をもらいました。これがこの後、現代まで続く「イスラエル」という国名や民族名の由来にまでなっています。イスラエル民族はこのイスラエルの子孫だからです。ちなみにイスラエルというのはヘブライ語で「神と戦う人」という意味です。神と戦う人と言うと神様に逆らう人のようですが、これは彼が神様自身と格闘したことを記念してつけられた名前です。太ももの骨を折られてでも神様にすがりついた彼の信仰がみとめられたということです。
さて、このように誰かから名前をもらうということは、祝福をもらうということと基本的には同義です。子どもが生まれた時に誰かに名付け親になってもらうというのはその人にその子を祝福してもらうということです。お相撲さんは親方から四股名をもらいますが、それも同じような意味かと思います。秋元貢は「千代の富士」を、花田光司は「貴乃花」を名乗ってその名で世に知られてゆきました。その本名を知るのは一部のマニアだけです。プロレスの佐山聡が「タイガーマスク」に、山田恵一が「獣神サンダーライガー」になったことも同じです。
新しい名前をもらってそれを名乗るというのは気分を一新してくれます。哲学的にいえば「名」というのは存在の記号ですから、名が変わるということは存在自体が一新されるということになります。昨日までの自分を捨てて、新しい自分として生き直すということです。お坊さんはお坊さんになるときに法名をもらいますし、クリスチャンでも教派によって洗礼を受ける時に洗礼名をもらったりします。これも「昨日までの自分とは違う自分として生きるのだ」という意思の現れかと思います。
新約聖書でも、パウロはそれまでのサウロという名前を捨ててパウロと名乗ったのと同時に、キリストの救いを否定する者から使徒へと変えられました。アブラハムも神様の祝福を受けた時に、アブラムからアブラハムへと名前が変わりました。
一方で神様から名前をもらうということは、「君は今日から、昨日までとはまったく違う生き方をしなくてはいけないよ」という神様からのメッセージでもあります。名前をもらった以上、昨日までと同じ生き方をすることはゆるされないんです。獣神サンダーライガーさんは「山田恵一はリバプールの風になった」と言って、その時点までの「山田恵一」としてのレスラー人生を捨て、その日からまったく新しい「獣神サンダーライガー」として輝かしいキャリアをつくりました。それと同じくらいの覚悟、「過去の自分は洗礼の水と一緒に流れたよ」くらいの覚悟が僕たちクリスチャンにもまた求められているんです。クリスチャンは自分で変わらなくてもいいんです。神様によって変えられるからです。ただし変わらなくては!と思わなくてもいい代わりに、「すでに変わったのだ」という自覚のもとで生きなくてはいけません。
そういうわかりやすい名前をもらわなかったとしても、最初に言ったように名付けは祝福ですから、神様からの祝福を受けるなら、常に昨日までの自分を刷新し続けなければいけないんです。だからこそ、過去の罪を神様はゆるしてくださるのかと思います。毎日、名前が変わったつもりで生きられたらな、と思います。
それではまた。
主にありて。
MAROでした。
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