教会に人を増やす簡単かつ効率的な方法【聖書からよもやま話403】

主の御名をあがめます。

皆様いかがおすごしでしょうか。MAROです。
本日もクリプレにお越しいただきありがとうございます。

聖書のランダムに選ばれた章から思い浮かんだよもやま話をしようという【聖書からよもやま話】、今日は旧約聖書、ホセア書の7章です。よろしくどうぞ。

ホセア書 7章14節

穀物と新しいぶどう酒のためには群がって来る。
しかし、わたしからは離れて行く。
(『聖書 新改訳2017』新日本聖書刊行会)

もしキリスト教が「現世利益」の宗教だったら、日本でももっと広まったかもしれません。日本人は一般的に宗教に現世利益を求めます。神社にお参りに行く人の大半は「〜〜しますように」と神様に何かをお願いしにいきます。そしてその願いが叶わないと「あそこの神社は御利益がない」と離れたり、他の神社を探したりしてしまいます。宗教に、というより神様に「実利」を求めてしまうんです。そして実利が見えなければ「損切り」をします。反対に「ここは御利益があるぞ!」と話題になれば、われもわれもと喜んでそれを得ようと行列を作ったりもします。

ごめんなさい、別に日本人の悪口を言いたいわけではありません。日本には神社に詣でるという伝統があるので、人間全般の「実利を求める姿」がわかりやすいので例にあげたまでです。アメリカ人だって似たようなものです。ただ彼らには教会の他に特に風習的に詣でる場所がないので、「教会に行ってもいいことがない!」と思えば、他の教会を探すよりも何も宗教行為をしなくなったり怪しげなセミナーに参加したりします。

「もっと教会に人を増やしたい!」と思う教会は多いですし、どうやったらそれができるかと日々頭を悩ませています。でもそれは実は簡単なことなんです。もっともっと現世利益を強調すればいいだけです。教会がもっと「聖書に従えば商売繁盛しますよ」とか「学業成就しますよ」とか「恋愛成就しますよ」とか「家内安全になりますよ」とかアピールすれば、きっともっとずっと教会には人が増えることでしょう。

しかし教会は決してそれをしません。いや、ちょっと怪しい「カルトな」教会であればおおいにやるかもしれません。でもまっとうな教会はそんなことはしません。ご利益で教会に人を集めれば、当然そこに集まる人たちはみんなご利益が目あてです。御利益が与えられれば、最初は少なくとも表面的には神様に感謝するかもしれません。しかし、そんな人が愛しているのはあくまでご利益であって、神様ではありません。その人にとっての神様はあくまで自分の目的を叶えてくれる存在で、そのとことんまで自分中心な世界観はいつまでも変わることがないでしょう。そしてその願いごとが叶わなかったとき、いとも簡単に教会を離れることでしょう。さらにそして、願いごとというのはいつか必ず叶わない日が来るものです。だって人は必ず一度死ぬんですから。

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UnsplashEric Wardが撮影した写真

だから教会は決して実利やご利益で人を集めてはいけないんです。教会は神様を愛する人の集合体です。神様を愛さずにご利益を愛する人をいくら増やしても意味がありません。意味がないどころか、マイナスにしかなりません。反対に言えば、もしあなたのまわりで「教会に来たら病気が治るよ!」とか「教会に来たら商売もうまくいくよ!」なんて、ご利益で人を集めようとしている教会や牧師や伝道師がいたら、決してついて行ってはいけません。それは必ずカルトか何かです。カルトは「人は実利が大好きだ」という弱みをしっているんです。だからまるで動物をエサで釣るように、人間をご利益で釣ろうとするわけです。そうすれば人間が簡単に思い通りに動くと知っているんです。

犬をしつけるときに、エサで釣ってはいけません。何かをする度にいちいちエサをあげていると、エサがなければ言うことを聞かない犬になってしまいます。その犬が愛しているのは飼い主ではなく、エサです。そんな犬にエサなしに何かを命じると、牙をむいて怒ったりします。その犬にとって「ボス」は自分であり、飼い主は「エサをくれるやつ」に過ぎないからです。一方でちゃんと愛をもってしつけられた犬は、エサなんてあげなくても、ちゃんと飼い主の言うことを聞きます。それは飼い主を愛しているからですし、飼い主の愛を信じているからです。エサで犬を動かそうとするのは飼い主がその犬を信頼していない証拠ですし、犬をバカにしている証拠です。犬はエサなんかなくても(もちろん食事として必要なエサはあげなきゃだめですよ!)愛をちゃんと理解できるんです。

世には「ご利益」や「実利」が溢れています。それはよくよく注意しないと、僕たちを思い通りに動かそうとする「エサ」かもしれません。エサでしつけられた犬がエサでしか動かなくなるように、「ご利益」で動機づけされた人間は「ご利益」でしか動けなくなります。愛を動機には動かなくなります。つまり端的に言えば「ご利益」は人から愛を奪うんです。悪魔は僕たちを「どうせ君らは神の愛なんかわかりやしないだろう?ご利益を与えればそれにしっぽを振るんだろう?」とバカにしているんです。

それではまた。

主にありて。
MAROでした。

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横坂剛比古(MARO)

横坂剛比古(MARO)

MARO  1979年東京生まれ。慶応義塾大学文学部哲学科、バークリー音楽大学CWP卒。 キリスト教会をはじめ、お寺や神社のサポートも行う宗教法人専門の行政書士。2020年7月よりクリスチャンプレスのディレクターに。  10万人以上のフォロワーがいるツイッターアカウント「上馬キリスト教会(@kamiumach)」の運営を行う「まじめ担当」。 著書に『聖書を読んだら哲学がわかった 〜キリスト教で解きあかす西洋哲学超入門〜』(日本実業出版)、『人生に悩んだから聖書に相談してみた』(KADOKAWA)、『キリスト教って、何なんだ?』(ダイヤモンド社)、『世界一ゆるい聖書入門』、『世界一ゆるい聖書教室』(「ふざけ担当」LEONとの共著、講談社)などがある。新著<a href="https://amzn.to/376F9aC">『ふっと心がラクになる 眠れぬ夜の聖書のことば』(大和書房)</a>2022年3月15日発売。

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