皆様いかがお過ごしでしょうか。MAROです。今日も日刊キリスト新聞クリスチャンプレスをご覧いただきありがとうございます。
毎回、新旧約聖書全1189章からランダムに選ばれた章から心に浮かんだ事柄を、皆様の役に立つ立たないは気にせずに話してみようという【聖書からよもやま話】、今日は 新約聖書、ルカの福音書の21章です。それではよろしくどうぞ。
◆ルカの福音書 21章8節
惑わされないように気をつけなさい。わたしの名を名乗る者が大勢現れて、『私こそ、その者だ』とか『時は近づいた』とか言います。そんな人たちの後について行ってはいけません。
イエス様が世の終わりに起こることについて話しています。そこには地震とか飢饉とか疫病とか宗教の迫害とか、現代の世界を見れば「あれ?これって?」と思い当たる節があるものもたくさん含まれています。その中で「偽キリスト」が現れるぞ、ということも書いてあります。
多くのカルト宗教は教祖の人が「私こそ神である」とか「私こそ救世主である」と、自分を崇めたてまつるように、信者に求めます。しかし、そういった「教祖」が世の終わりにはたくさん出現するのだということを、イエス様はすでに預言しているんです。そして、「そんな人について行ってはいけないよ」と教えてくれています。
健全な宗教とカルト宗教を見分けるポイントはいくつもありますが、その中でも大きなポイントは「教祖が自ら神と名乗るところは危ないぞ」です。そしていわゆる「キリスト教系」と呼ばれるカルト宗教(これらが「キリスト教系」と呼ばれてしまうこと自体、まっとうなクリスチャンからすれば非常に心外ではあるのですが)は、往々にして「教祖」が、「私が再臨のキリストである」と主張します。ある統計によれば、このように生まれた「再臨のキリスト」は、現代では世界に2〜300人もいるのだそうです。彼らはよく「私がキリストの生まれかわりだ」とかも言いますが、そもそもキリスト教には「生まれかわり」という概念がありませんから、もうこの「生まれかわり」という言葉が出た時点で「アウトー!」と思った方が良いです。
そして残念ながら、いわゆる「カルト教団」だけにこういった「教祖」が生まれるわけではなく、時には一般的なキリスト教会からも「教祖」が生まれてしまうことがあります。もし教会が「私たちは伝統的なキリスト教会です」と名乗っていても、そこの牧師や指導者が「私は実はキリストなのである」とか「私は神様から特別な使命を授かった特別な者なのである」なんて言い出したら、その教会からは逃げた方がいいです。そのような指導者に破壊されてしまった「伝統的なキリスト教会」も現実にいくつもあるんです。
とにかく、「私は神だ!」と誰かが言い出したら、特に聖職者が言い出したら、その方からは離れるべきです。そんな人に「いやいや、あなたは神じゃありません」なんて言っても大抵の場合は話が通じませんから、距離をとった方がいいです。
新日本プロレスの飯伏幸太選手が、1.5(イッテンゴ)東京ドームでジェイ・ホワイト選手に勝った時に言い放った「僕は神になった!」発言は、まぁどうみてもこの手の「教祖」とは意味が違いますが、それでもクリスチャンのプロレスファンは苦笑い、といったところです。僕は個人的に飯伏選手、好きですけど。
それではまた。
主にありて。MAROでした。