思想史学者で国際基督教大学(ICU)名誉教授の武田清子(たけだ・きよこ、本名・長清子=ちょう・きよこ)氏が4月12日、老衰のため召天した。100歳。故人の意思により、葬儀は家族で執り行われた。後日、偲ぶ会を開くが、日取りなどは未定。連絡先は同大学パブリックリレーションズ・オフィス。遺族は花料・供花・供物を辞退している。
1917年6月20日、兵庫県伊丹市生まれ。2男2女の末っ子として地主の家に生まれるが、翌年、スペイン風邪で父と姉を失う。高等女学校卒業後、神戸女学院に入学し、34年、高等部から大学部へ進む。そこで、デフォレスト院長など、クリスチャン教師から学んだキリスト教に深い人格的感銘を受け、38年、神戸平野教会で洗礼を受けた。
39年から42年にかけて日米交換留学生として渡米し、オリヴェット大学、コロンビア大学、ユニオン神学校大学院でラインホールド・ニーバーやパウル・ティリッヒらのもと、キリスト教倫理学や宗教哲学などを学んだ。41年12月、真珠湾攻撃によって太平洋戦争が勃発し、翌年には帰国した。
終戦後間もない46年、武谷三男、都留重人、鶴見和子、丸山眞男、鶴見俊輔と共に『思想の科学』(先駆社)を創刊。戦後日本論壇のオピニオンリーダーの一人として活躍した。58年、「近代日本におけるキリスト教の受容と人間形成の問題」により東京大学文学博士。
ICUには53年から非常勤講師として勤め始め、翌年に講師、翌々年に助教授、61年、教授(思想史、教育思想史)となった。67年、教養学部長、70年、大学院部長、71年、アジア文化研究所所長、88年、名誉教授、名誉人文学博士。
日本人初となる世界教会協議会(WCC)会長を務めたほか、アジアキリスト教主義高等教育合同理事会(UBCHEA)理事などを歴任した。この他、米国プリンストン大学協力研究員、ハーバード大学協力研究員、英国オックスフォード大学セント・アントニース・カレッジ客員教授、日本教育哲学会理事、日本イギリス哲学会理事、聖路加看護大学理事、日本比較思想学会評議員、宗慶齢日本基金会理事長など。
97年にキリスト教功労者の表彰を受ける。晩年は高齢者施設に入所していたが、思想史の勉強会を続けるなどしていた。夫は、経済学者で東京外国語大学長を務めた故・長幸男さん(1924─2007)。
著書は、『人間・社会・歴史』(創文社、53年)、『人間観の相剋(そうこく)──近代日本の思想とキリスト教』(弘文堂、59年、毎日出版文化賞)、『土着と背教──伝統的エトスとプロテスタント』(新教出版社、67年)、『背教者の系譜──日本人とキリスト教』(岩波書店、73年)、『正統と異端の”あいだ”』(東京大学出版会、76年)、『天皇観の相剋』(岩波書店、78年)、『日本リベラリズムの稜線』(同、87年)、『戦後デモクラシーの源流』(同、95年)、『峻烈なる洞察と寛容──内村鑑三をめぐって』(教文館、96年)、『植村正久──その思想史的考察』(同、2001年)、『湯浅八郎と二十世紀』(同、05年)、『出逢い――人、国、その思想』(キリスト新聞社、09年)など多数。