早稲田奉仕園のスコットホール(東京都新宿区)は、2022年1月に献堂100周年を迎える。それを記念したシンポジウム「若き日の出会い 杉原千畝と早稲田奉仕園~創設者ベニンホフ宣教師と1920年前後の青年たち~」(主催:公益財団法人 早稲田奉仕園)が、10月25日、同ホールで開催された。新型コロナウイルス感染防止を万全にした会場には約40人が集まった。
早稲田奉仕園は、米国バプテスト教会の宣教師・ベニンホフ博士が早稲田大学の創始者・大隈重信の依頼を受け、キリスト教主義の学生寮「友愛学舎」を開いたことに始まる。スコットホールは、1921年に米国のハリエット・エマ・スコット夫人の寄付により完成し、寮を含めた学生センター「早稲田奉仕園」として現在の礎が固められた。
この日は、スコットホールが献堂される前に設立された「信交協会」に焦点が当てられた。17年に設立された信交協会は、若い学生を中心とするキリスト教の集会で、22年までに146人の会員がいた。全8条の信仰箇条からなる信交協会憲法のあとには、入会した者の名簿が続き、そこには、朝鮮独立運動家の宋継白(そん・けベく)、「命のビザ」を発行した杉浦千畝(すぎうら・ちうね)のサインが残っている。シンポジウムでは、彼らの活動とその後の歩みをとおして、早稲田奉仕園との関わりを検証した。
登壇者は、恵泉女学園大学教授・副学長の岩村太郎(いわむら・たろう)さん、関東学院大学非常勤講師・日本バプテスト理事の原真由美(はら・まゆみ)さん、明治学院大学教授・同大キリスト教研究所所長の徐正敏(そ・じょんみん)さん。ファシリテータを、雑誌『週刊金曜日』の発行人で、早大生時代に「友愛学舎」に住んでいた植村隆(うえむら・たかし)さんが務めた。各人の講演のあと、鼎談(ていだん)、質疑応答が行われた。
最初に登壇した岩村太郎さんは、「杉原千畝とキリスト教」というテーマで、杉原千畝の生涯がどのようにキリスト教にかかわっていたかを客観的な事実から語った。杉原千畝は、信交協会に19年2月9日に入会しているが、この時は未受洗で、後にハルビンでロシア正教会の洗礼機密を受けている。また、生前自分がクリスチャンであったことを公言せず、教会生活は行っていなかった。しかし、死ぬ前に「ロシア正教の司祭を枕元に呼んでくれないか。葬儀も正教にのっとってしてほしい」と話していたという。
岩村さんは、杉原千畝が数千人のユダヤ難民にビザを発給したのはヒューマニズムからの行為で、クリスチャンだったから救ったという捉え方に難色を示しつつも、「若い時に信交協会で学んだ『神以外の何物も恐れない』という信仰は、杉原千畝の心の片隅にいつもあったのではないか」と述べた。「信交協会、ロシア正教会など、キリスト教とのさまざまな出会いをとおして、見事に生き抜いた。杉原千畝に、いたずらな英雄視は必要ないし、都合のいい脚色もいりません」と力を込めた。
続いて、徐正敏さんが、「東京朝鮮留学生2・8独立宣言と韓国3・1独立運動」というテーマで語った。「韓国3・1独立運動」は、1919年3月1日、日本統治時代の朝鮮で発生した、大日本帝国からの独立運動で、韓国では民族史全体をとおして最も重要な出来事とされている。それに先駆けて起きたのが、在東京朝鮮留学生らによる「2・8独立宣言」だ。東京神田にある在日本韓国YMCAを本拠地として行われたこの独立宣言は、まさに植民地支配勢力である帝国主義の中心・東京が拠点だった。
徐さんは、当時の東京は、植民地の朝鮮と比べて意外と自由だったと話し、エリートであった朝鮮人留学生が、日本人教師や日本語の書籍から、近代思想、人権や自由などを学んでいたことを説明した。「大正デモクラシー」と呼ばれる自由な雰囲気が、彼らを独立宣言へと向かわせたのではないかと分析し、「民族の敵であった日本という窓口をとおして近代思想に辿りついた」と語った。また、「2・8独立宣言」に参加したのは、草案者である李光洙(イ・グァンス)をはじめ、半数が早稲田大学生であったことにも言及した。
「2・8独立宣言」の主役の一人とされる宗継白も、18年11月10日に信交協会に入会している。このことから、杉原千畝と宗継白は同時期にベニンホフ博士より指導を受けていたことになる。このベニンホフ博士について、原真由美さんが「ベニンホフと早稲田奉仕園」と題して講演した。
ベニンホフ博士は、1874年に米国ペンシルバニア州に生まれ、1907年に宣教師として来日した。当時はちょうど早稲田大学から宣教師団に対して社会的および宗教的活動の協力を得られるという時期で、同大でも教鞭をとっていた。学生たちに伝えたかったのは、コリント信徒第一の手紙13章から引用した「互いに愛すること」と「仕える人になること」。また、「人に迷惑をかけてはいけない」という儒教的な考え方にとどまるのではなく、自由と責任をもって、よりよい決断をしていくことを伝えていた。
興味深いこととして原さんは、人種差別と不正を反対したリベラルな神学者の本を学生たちに読ませていたことをあげた。そして、コルゲート・ロチェスター神学校のアーチバルト氏が当時の早稲田奉仕園の活動について記した寄稿「架け橋」の中で、「素晴らしいクリスチャンの交わりの中で、東洋と西洋の双方について理解を深めるよう教育されており、やがてこれらの学生たちは国家の間にある人種的、社会的、政治的な隙間の架け橋になるだろう」と記していることを紹介し、早稲田奉仕園のその後の働きからも、実際にそのようになっていったと締めくくった。
シンポジウムの後半では、「2・8独立宣言と朝鮮人留学生のその後」が上映されたあと、3人の講演者による鼎談が行われた。その中で、早稲田奉仕園でベニンホフ博士は、友愛学舎に入っていない人でも受け入れ、一人一人の学生の悩みに寄り添い、祈り、その人の道を見つけていったというエピソードなどが紹介され、どんな壁も作らないベニンホフ博士の姿に杉原千畝も影響を受けたはずだと述べられた。また、関東大震災、第二次世界大戦の戦禍も乗り越えた早稲田奉仕園スコットホールはシンボリック的な存在で、人々の心に勇気を与え、心の錨(いかり)のような役割だったという記録も残っていることも明かされた。さらに、現在起きている日韓問題についての言及もあり、歴史の中の人物を一緒に考えることで未来が見えるのではないかなど、それぞれの思いが語られた。
この日は、杉原千畝の孫で、「NPO法人 杉原千畝命のビザ」の副理事長を務める杉原まどかさん、「詩人尹東柱を記念する立教の会」代表の楊原泰子(やなぎはら・やすこ)さんも来場した。楊原さんは、「当時の価値観にとらわれず書かれた尹東柱(ユン・ドンジュ)の詩は、普遍的な価値観をもって行動を起こした杉浦千畝さんと共通点があります。このことは、今を生きる私たちへの教えのように感じます」と語った。
現在、当日配布したパンフレットを1部750円で販売している。このパンフレットは36頁の力作で、シンポジウムの登壇者をはじめ主要人物による寄稿文、「信交協会」のサイン一覧や1920年前後の早稲田の朝鮮人留学生の概要などが含まれる。郵送を希望する場合はこちらから。また、直接早稲田奉仕園でも買い求めることができる