13 駐車場での徹夜の祈り
ある夜、私たちは臨時で集まり、武森さんという信徒のために祈っていた。もともと病弱で入退院を繰り返していたのが、容体が急変して救急車で運ばれたのだ。
祈り会は9時に散会し、先生はそのまま病院へ向かった。
次の朝、私たちがいつものように6時半に教会に行くと、先生の奥さんがストーブの火をおこして待っていた。
「武森さん、持ち直したって、さっき連絡が入ってね」
その言葉は夜空に上がった花火のように私たちの心を輝かせた。
「よかったですねえ!」
「本当に!」
ひとしきり喜び合ったあと、前野さんが訊ねた。
「で、今朝は先生は?」
「それがね、家で寝とるの」
「そりゃあお疲れでしょうから。あのあと病院へ行かれて、で、先生いつ頃帰ってこられたんですか」
「それがね」
奥さんは曖昧(あいまい)に笑い、声をおとした。
「……さっき」
「え?」
言葉の意味が呑(の)み込めない前野さんが、同じ言葉を繰り返す。
「さっき?」
途端に多恵ちゃんのすっとんきょうな声があがった。
「えー! 先生、朝まで病院におんさったの!」
奥さんはもじもじと下を向いた。
「おったことはおったんだけど。行ってしばらくしたら、武森さんの奥さんが悪がって、何回も、お疲れでしょうから早く帰ってくださいって、きかないんだって。でも主人は武森さんが心配で、何とか傍(そば)で祈りたいし。それで奥さんに見つからんように、車の中で祈っとったんだって、駐車場で朝まで」
今度は私たち全員が声をあげる番だった。
うつむいたままの奥さんの言葉はつづく。
「いつまでたっても帰ってこんし、うんとも、すんとも、連絡がないし、私も、容体がすごく悪いかなあって、心配でね。そしたら、さっき主人が帰ってきて、そのあとを追うように武森さんの奥さんから、持ち直したって電話が入ってきて、やっとひと安心しとるとこだが。それで申し訳ないけど今朝の早天はお休みさせてもらうって……」
「まあー、先生は! 黙ってそんなとこにひとりでおって!」
突然、熱血女性の藍子さんが会堂を揺るがすような大声をあげた。
「祈りなんてどこでもできるのに、そんな寒い所で風邪でもひいたらどうするだあー。それにもし武森さんに何かあって、緊急に連絡せんといけんようなことにでもなっとったら、どうするつもりでおんさったんだろう。ほんに先生はー!」
でもその目は真っ赤で、うっすらとにじんだ涙でふくれあがっている。
「ほんに先生はー!」
携帯電話などない時代のことである。私たちは藍子さんの気持ちがよくわかった。
「でも武森さんがようなんさって、よかったが」
端田のおばちゃんが執り成すようにいった。
「本当に」
目をこすりながら多恵ちゃんと小枝ちゃんが頷(うなず)く。
前野さんが天井を見上げた。
「先生の祈りが通じたんだが。よかった。本当によかったなあ」
次の朝も、その次の朝も祈祷会はつづけられた。
雪の中を先生は病人を見舞い、集会をし、訪問をし、説教の準備をした。
どんなに夜が遅くなっても、先生が朝の祈祷会を休むことは稀(まれ)だった。
「父なる神様……」
先生の少しかすれた、しみじみとした声が、目を閉じて頭(こうべ)をたれている私たちの耳に届く。
「恵みのうちに守られて、新しい朝をむかえ、あなたの御前(みまえ)に祈るために集えた幸いを、感謝いたします」
白み始めた空が、窓から光を射し入れた。ストーブのやかんが汽笛のような音をたてている。時折出る先生の咳(せき)。神様と先生と私たちの時が、ゆっくりとその朝も過ぎていく。(つづく)