「主の名をみだりに唱える」とは? 白井幸子 【教会では聞けない?ぶっちゃけQ&A】

Q.口癖のように「ハレルヤ」「主よ」と連呼するクリスチャンは、十戒の「主の名をみだりに唱えてはならない」に反しませんか?(30代・男性)

「あなたの神、主の名をみだりに唱えてはならない。みだりにその名を唱える者を主は罰せずにはおかれない」

十戒として知られる出エジプト記20章の第3戒にこうあります。イスラエル人はこの戒めを厳格に守るのに実に大きなエネルギーを費やしていたことが知られています。神の名をみだりに唱えるとは、真実を伴わず軽薄な心をもって神の名を唱えることと考えられます。

では、「みだりに」ではない唱え方とはどのようなものでしょう。礼拝、賛美、嘆き、祈りなどにおける、真実で心からなる神への語りかけがそのような唱え方であるとされます。正しい神であるからこそ、形式的に神の名を口にし、あるいは、人間の勝手な利益のために神の名を口にしてはいけないとされるのです。

みだりに神の名を口にするものには、どのような罰が待っているのでしょう。「神の名がまず意義を失い、ついには、神ご自身が彼の心中より消え去りたもう。これすなわちてきめんの刑罰である」と内村鑑三は語りました。

では、口癖のように「ハレルヤ」「主よ」と連呼するご質問の人の場合はどうでしょう。「神の名をみだりに唱えている」とただちに非難することはできないように思います。ハレルヤは、「エホバをたたえよ」のヘブライ語から、神を賛美する叫び、歌となったものですが、心の中に神に対する喜びと感謝があふれていて、語ることすべてが泉のように神への賛美となる人の場合は、何ともすばらしいことです。

一方、真実な思いをともなわず、単なるかけ声のように、あるいは鼻歌のように、あるいは見せかけのために、あるいは口癖のように、「ハレルヤ」「主よ」と口にしているのであれば、やがて鑑三の言うように、てきめんの刑罰が下るのかもしれません。

十戒の第3戒にも、神の深い恵みが示されていると考えられます。

*本稿は既刊シリーズには未収録のQ&Aです。

しらい・さちこ 青山学院大学文学部を卒業後、フルブライト交換留学生として渡米。アンドヴァー・ニュートン神学校、エール大学神学部卒業。東京いのちの電話主事、国立療養所多磨全生園カウンセラー、東京医科大学付属病院でHIVカウンセリングに従事した後、ルーテル学院大学大学院教授を経て同大名誉教授。臨床心理士、米国UCC教会牧師。

【既刊】『教会では聞けない「21世紀」信仰問答I -まずは基礎編』 上林順一郎監修

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