(前編を読む)
再会の希望が慰めを与える
島田 やはり問題は、残された家族の心の整理がつかないうちに葬儀が行われることだと思います。東日本大震災では、予期しないことですから、遺族にはダメージが大きかったはずです。その場合、宗教的な葬儀によって遺族の心を癒やせるのかが問題で、キリスト教葬儀の可能性を考える上でいちばん大きなポイントではないでしょうか。
大和 キリスト教葬儀というのは、「命の創造者のもとに帰る」という安心感なんですね。死を超えた安心感が、私たちキリスト者の信仰です。葬儀にクリスチャンでない人がいらした時も、そういった安心感を得るということをよく聞きます。
「クリスチャンは祈りばかりしていて弱そうに見えるけれど、心が折れそうな時にも折れないんですね。こんな死に方があるんですね」といったことも耳にします。また、初めてキリスト教葬儀に触れた人から、「こんな素敵なお葬式があるんですね」と言われたこともあります。
島田 どういうところでそう感じるんでしょうか。
大和 聖書には、体をもって復活することが書かれています。そこには、再び会える希望とともに、もっと大きな人生が先に用意されているという希望があります。そういったことが葬儀の時にも表れてくるのではないでしょうか。地上での和解とともに、再び会えるという信仰、希望ですね。それが遺族や参列者に慰めを与えるのではないかという思いはあります。
島田 そこで思い出したことがあります。私が宗教学の師と仰ぐ岸本英夫(きしもと・ひでお)先生です。元々はクリスチャンだったのですが(父親の宗教学者、岸本能武太は新島襄から洗礼を受けたクリスチャン)、途中で信仰を捨てたんですね。1954年に米スタンフォード大学に客員教授として招聘(しょうへい)された51歳のとき、頭部に悪性の腫瘍が見つかり、10年に及ぶ闘病生活の末に60歳で亡くなりました。先生は、クリスチャンでない自分がどうやって死と向き合っていけばいいのか、ずっと考え続けていました。先生の『死を見つめる心』(講談社)という本を通して、一人の宗教学者の生き方のようなものを私は学んだのです。
死には、「本人にとっての死」と「家族にとっての死」があると思います。ガンなどにかかって死に直面し、死んでいく時に、クリスチャンのように死を考えることができるかが、いま考えるべき重要なことではないでしょうか。
魂や命の問題に向き合える場所
──葬儀が簡略化し、直葬が増えていく中で、キリスト教は何を発信していけるでしょうか。
島田 コミュニティーという要素と、本人の死の覚悟というところが重要かなと思います。
ポール・シュレイダー監督の「魂のゆくえ」という映画があるのですが、ニューヨークの小さな教会の牧師が主人公です。興味深いのは、米国だと主人公が牧師で、死に直面する映画が作れるわけです。日本だと、お坊さんが自分の死に直面して、魂のゆくえを考える映画はできないように思うんですね。そこにキリスト教と日本の仏教の大きな違いがあるかなと。
──教会のほうが死について問いかけやすい場所なのかもしれないですね。
大和 共同体が壊れていく時代に、教会は人口の1%のクリスチャンだけではなく、もっと地域の中に入って、孤独死を出さないよう、いろいろな人と接点を作っていくことが課題となっています。これは、葬儀以前の問題です。地域の中で困難を抱えている人たちにとって、教会が魂や命の問題に向き合える場所であれば、映画「エンディングノート」のお父さんのように「キリスト教葬儀で送ってほしい」と思う人が起こされるのではないでしょうか。
島田 今、高齢で亡くなる人と、若くして亡くなる人が二分するかたちになっています。特に若い人が病気などで死に直面したとき、どう死を受け入れていくかというところに宗教の本質みたいなものがあります。ただ、どの宗教でもそういう力を持っているとは限らない。仏教の葬儀では、葬儀の中で故人ではなく僧侶がいちばん高いところにいて、今の感覚からすると、すごく矛盾している。そういう仏式葬儀というものが、「突然、死に直面した人にとって意味あるものになりうるか」というと、けっこう難しい。そこは仏教がキリスト教から学ばなければならない点かもしれません。
──今後、葬儀において必要になることや実践したいことは?
大和 葬儀ということを考えたとき、キリスト教会が自分たちの共同体の中だけで生きていくことには限界があります。まずは、いろいろな人が集まれる場所、行き場のない人が来ても大丈夫な場所であることが大事ではないか。人を丁重に葬ることは、故人がキリスト者でなくてもできることです。そのことを知った上で、地域の中で私たちが深く関わり、教会が地域に仕える中で新たな出会いが広がっていったらいいなと改めて思わされました。
島田 信者・未信者と分けずに、宣教活動の一環として、あえて未信者の葬儀を引き受ける試みがあってもいいのではないでしょうか。それがコミュニティーの中で、独りで死に直面して死んでいく人の慰めへと通じていくし、それは仏教以上にキリスト教のほうがやりやすいような気がします。
司会:野田和裕(創世ライフワークス社代表取締役)
「終活STYLE」第2号より転載
「ライフ・エンディング・フェア2019」10月14日開催