自分を無視する対人援助者たち(前編) 【関野和寛のチャプレン奮闘記】第26回

聖職者の自己紹介欄にある「趣味」の項目には、よく「散歩」「読書」「音楽鑑賞」などが並んでいるが、何か違和感を覚える。本当か? 無難で綺麗すぎる気がする。ちなみに、私の趣味欄には「キックボクシング」と「ロックバンド」と書いてある。趣味はさておき、聖職者や対人援助者にとって、究極的に大切なのは自分を休ませること、喜ばせること、そしてセルフケアに全力で取り組むことだ。もしセルフケアをしていないのであれば、それは海女さんが息継ぎなく海に潜り続けるようなものだ。

死の看取り、特に銃撃や交通事故の患者さんやその家族を支える中で、私はよく聞かれる。「どうやってセルフケアをしているのですか?」「燃え尽きてしまわないのですか?」――これまで私は、通りいっぺんの答えをしてきた。「おいしいものを食べる」「ロックを聞く」「趣味のキックボクシングジムで思いきり体を動かす」。だが私はそう言って、嘘をついていたのかもしれない。何かを隠していたのかもしれない。それはストレス発散であり、ケアの一部ではあるが、セルフケアそのものではない。本当のセルフケアとは、今の自分の苦しみに対処するだけでなく、自分の根底にあるもの、自分の歴史の中の未解決の問題、宗教や家庭で受けた傷、癒やされていない過去に向き合うことである。

アメリカに再び来て3カか月ほど経ったころからだった。私は夜中に大量の汗をかくようになり、一晩に何度も着替えなければならないほどの状態が続いた。理由は明白だった。今与えられているチャプレンのポジションが一時的なものであり、3カ月後の自分の姿がまったく見えなかったからである。チャプレンとして大きな目標を持ち、2度目の渡米を決断した。外野からはあれこれ言われ、それでも仲間たちに支えられながら、こんなにも不安定な時代に海を渡った。

大きなリスクを背負い、先の見えない状況の中で、私は日々トラウマセンターで壮絶な死を看取り続けていた。その思いをチャプレン・スーパーバイザー(指導者)に話したところ、受診、そしてセラピーを受けることを勧められた。「あなたは国を超え、教会で牧師をし、病院のトラウマセンターで人の死を看取っている。これほど急激な環境変化はない。そして、これまでの生育歴や職業歴、自分の歩んできた歴史の中で癒やされていない部分が、今まさに叫んでいるではないか?」

「え? 私が受診、しかもセラピー?」

なんとも言えない拒否反応、居心地の悪さが胸の中を渦巻いた。

人々に魂のケアを与えるチャプレンの第一の務めは、自らをケアするセルフケア。読書や散歩、キックボクシングやロックミュージック、それだけでは癒やせない深い傷がある。これまで私はよく、牧師、牧師を目指す若者、医療従事者たちから「燃え尽きた」「うつを患った」「家庭の問題で前に進めなくなった」という相談を受けてきた。対人援助者は人を援助することは学ぶが、セルフケアをプロから学ぶことはほぼなく、現場で限界まで追い詰められてから精神科を受診するパターンが極めて多い。「もう少しがんばってみよう」「状況が変わるかもしれない」「私が弱すぎるから」――そう自分に無理を語り続ける。でももういい。もういい。十分に苦しんだ。血が止まらないまま、傷が塞がらないまま、大切な自分を無視して、他者のケアに向かい続けていないか。人に何度となく伝えていたことばを、自分が聴く時が来たのだった。

*個人情報保護のため病院の規則に従いエピソードはすべて再構成されています。

子どもを亡くした親のケア(後編) 【関野和寛のチャプレン奮闘記】第25回

2025年、関野和寛 一時帰国時の講演などの予定
11/8(土)坊主バーライブ/トーク(四谷)
11/9(日)大師新生教会(川崎)
11/16(日)洛西キリスト教会(京都)
詳細: https://x.com/kazuhiro_sekino

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