作家たちと天使たちはもう一つの特質を共有している。 ―― つまり、とらえどころが見つけにくかったり、物ごとの進展の邪魔にならないように振る舞う傾向がある。わたしたちの最高の作家たちは彼らの著書に自分自身のことを隠してしまう。同様に天使たちもまた、ほとんどの場合、目に見えず、聞こえない。また、気配に気づかれることもなく、その音が聞かれることもない。というのは、超越とは、わたしたちに押し付けられることが出来ないものである。超越性は叫ばない。メガホンで自分の存在を知らせることもしない。道路にある掲示板に広告を出して自らを宣伝もしない。超越は決して強引なものではない。
超越に触れるためには、それに気づくことが必要である。超越について証しする人が超越性を生み出すわけではない。超越は既に「ここ」や「あそこ」に存在している。しかし、わたしたちが慌ててどこか別な場所でそれを手に入れようとすれば、超越を見逃してしまう。ここには、いつも目に見える以上のものがある。わたしたちは多くの場合、見逃している。銀行に行くために急いで道路を渡る時に、わたしのシャツの袖をつかみ引き戻し、見落としたものを教えてくれる友人が必要なのである。肩をトントンと叩き、延々と続く街の噂話の論評を中断させ、真理のことを聞くことが出来るようにする友人が必要なのである。わたしたちには超越がここにあることを話す証人が必要なのである。つまり、作家たちや天使たちが必要なのである。わたしたちが立ち止まり、見て、聞く、作家たちや天使たちが必要なのだ。
イエスは言われた。
「父よ、御名の栄光を現わしてください」
すると天から声が聞こえた。
「わたしは既に栄光を現わした。
再び栄光を現わそう。」
そばにいた群衆は、これを聞いて「雷だ」と言い、
ほかの者たちには「天使がこの人に話しかけたのだ」と言った。
―― ヨハネによる福音書12章28~29節
*引用される「聖書の言葉」はピーターソンさんの翻訳・翻案を訳したものです。