神の御前では最高の状態でいたいと、わたしたちは願う。「祈りとは、神の御前でプレゼンをして、神に気に入ってもらえることだ」と、わたしたちは祈りについてそう考えてしまう。「よそ行きの服を着た祈り」という訳である。しかし、如何だろうか。ここに詩編という「神の民の祈り」がある。この詩編をもって祈る時、そのような祈りは出来ないと分かる。その時、「実際の自分自身」をさらして祈らなければいけない。「あるべき自分」を考えて祈ることは、出来なくなる。ここに詩編137編がある。この詩編は、わたしたちの中にあるベストのものではなく、わたしたちの中にある最悪なものを明示する祈りである。卑劣、悪意に満ちた、意地悪な憎悪 ―― こうした憎しみがわたしたちの中で露(あら)わになる。神はこの憎しみを解決出来るのだろうか?
汝、バビロンよ ―― 略奪者よ!
汝らに報復する者に報いあれ
わたしたちにした全ての悪事の故にこそ
そうだ。汝らの幼子をつかみ取り
その頭を岩にたたきつける者に
大いなる報いあれ!
―― 詩編137編8~9節
*引用される「聖書の言葉」はピーターソンさんの翻訳・翻案を訳したものです。