10月2日「維持点検の詩編」

 次の5日間は詩編131編に基づく
 
 詩編131編は維持点検の詩編である。この詩編は庭師が枝を剪定(せんてい)することが効果的であるように、信仰者にも役に立つ。物ごとを弁えない人がつい選びがちなものを、この詩編は取り除いてくれる。また、「わたしたちの心」と「神の内にあるわたしたちの心の根源」との間にある距離を、この詩編は縮めてくれる。

 詩編131編は二つのことを剪定する。一つは「始末に負えない野心」と、もう一つは「子どもじみた依存心」である。「自意識過剰」とか「駄々をこねる」という態度を、この詩編は切って捨てる。この二つは、特に信仰者の歩みをよく知らない人々の間で、うっかりすると美徳の一つと見なされてしまう。用心しないと、自分自身を破壊する、正にそのものを勧めてしまうことになるだろう。わたしたちは特別な方法で、繰り返し、矯正されなければならない。剪定を必要としている。 

 イエスはこう言われた「わたしの枝で実を結ばない枝は神が切り取る。ぶどうの木が豊かに実るようにと、神は全ての枝を剪定する」(ヨハネ15章2節)。わたしたちの主なる聖霊は一度ならず主の民の間で重要なことをなすために詩編131編を用いている。わたしたちが詩編を身近に理解する時、主はわたしたちに詩編を用いて働いてくださる。「わたしたちが豊かに実を結ぶように」してくださる。
 

「イエスは言われた」「わたしはまことのぶどうの木。わたしの父は農夫である。わたしというぶどうの木の枝で、実を結ばないものは、御父がすべて切り落とす。ぶどうの実を結ぶ枝については、御父はやはり、剪定する。そうしてさらに豊かに実を結ぶようになる。あなたがたはわたしが語った言葉で、既に刈り込まれている。」
―― ヨハネによる福音書15章1~2節

*引用される「聖書の言葉」はピーターソンさんの翻訳・翻案を訳したものです。

63db463dfd12d154ca717564出典:ユージン・H.ピーターソン『聖書に生きる366日 一日一章』(ヨベル)
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