9月27日「常に創造的な行動」

 ゆったりすること、反復すること、これらはとても大切なことである。それは「いい加減」とか「怠惰」を意味しない。G・K・チェスタトンは「溌剌(はつらつ)とした人が本を読むのと、疲れ切った人が本を読むのとの間には雲泥(うんでい)の差がある」と述べる。ニコラス・ベルジァーエフは『夢と現実』の中で溌剌とした精神の人々をこのように述べる。「読書の過程において、わたしは決して受け身にならない。読書をしている間、わたしは常に創造的な活動をしている。読書は創造的で持続的な活動である。読書をしながら本の内容を理解しながら、わたしはいつも同時に、直接的・間接的に惹き起こされる思想に気づかさせられるのだ」と。

 「聖霊に応答できるように、よく注意して準備しなければならない」ということを、ジュリアン・グリーンが1941年10月6日付の日誌に記している。彼女はこう書く。 ―― 「マナの物語にはとても大切な意味が隠されている。ヘブライ人はマナを集め貯蔵すると、マナは腐敗してしまった。それは恐らく次のことを意味する。霊的な本を読む時、そこから学んだ全てを、祈りや行動で使い尽くさなければならない。そうしないと、わたしたちの内側で腐敗をもたらす結果となる。つまり、あなたがたは素晴らしい格言で満たされた頭と、完全に空っぽな心で死ぬことになる。」
 

フィリポが走り寄ると、宦官(かんがん)がイザヤ書を朗読しているのが聞こえた。フィリポは「あなたが読んでいることが分かりますか?」と尋ねた。宦官は「助けなくしてどうして分かりましょうか?」と答え、馬車に乗ってそばに座るようにフィリポに頼んだ。
 ―― 使徒言行録8章30~31節

*引用される「聖書の言葉」はピーターソンさんの翻訳・翻案を訳したものです。

63db463dfd12d154ca717564出典:ユージン・H.ピーターソン『聖書に生きる366日 一日一章』(ヨベル)
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