9月4日「この世の手法を自分に取り込んで」

 福音派のクリスチャンたちは、歴史的に、たしかに教会に奉仕してきた。鋭い熱意をもって信仰と生活を教会にささげ、一人ひとりが人格的に教会に参画するように力説し合い、エネルギーとパッションを注ぎ込み、戒めや導きを求めながら日々聖書に立ち戻り、そして献身的に共同体を形成してきた。がしかし、現代では、そうした情熱は「スピリチュアリティー=霊性」の問題に対してのみに向けられている。その結果、わたしちはどこまでも世俗化した文化に影響されることとなってしまった。過去には類を見ない深刻な事態である。福音主義派の人々は、無批判にこの世の手法を自分に取り込んでいる。そのことに誰も気づかない。とりわけ、わたしたちはテクノロジーの魅力に嵌り、行動せよと駆り立ててくる熱狂主義を自分に取り込んでいる。
 

この世の手法を愛してはいけない。この世の物を愛してはいけない。この世を愛することは父なる神を締め出すのだ。実際には、自分のやり方を願う人、自分のためだけに全てを手にしたいと願う人、自分が一角の人物と見られたいと願う人やこの世で起きている全ては、父なる神とは一切関係はないのだから。
 ―― ヨハネの手紙(一)2章15~16節

*引用される「聖書の言葉」はピーターソンさんの翻訳・翻案を訳したものです。

63db463dfd12d154ca717564出典:ユージン・H.ピーターソン『聖書に生きる366日 一日一章』(ヨベル)
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