8月28日「イエス・キリストという歴史的瞬間」

 しかし、神の創造は荒廃しているように見えるこの世で起きている。神の救いも地獄に行くように見える人々の中で起きている。つまり、創造と救いは自明なことではない。聖ヨハネは自明でないことを、それでも、それが真実であることを深くわたしたちに示している。これらは編集長が組み立てた「大きな物語」ではない。つまり、印刷物やビデオをもってわたしたちに語りかけて、この世界で何が起こっているのか、わたしたちがどんな困難に直面しているかを知らせることが、ヨハネの黙示録の目的ではない。ただ一つ、創造と救いとが完全に明白となった瞬間があった。イエス・キリストという歴史的瞬間がそれだ。その出来事は明白に示されたが、それは長く続いたのではない。大多数の人々は気づかなかった。ただ、ほんの数時間にわたる、イエスの十字架刑と復活の出来事があっただけだ。それも、イエスの弟子である男女数人がいただけなのだ。 ―― つまり、その数時間の間、その数名の信仰者たちが、それをはっきりと見たのだ。全ては次のことに焦点を当てていた。イエス・キリストを通して、イエス・キリストの内に、神が創造し、神が救ってくださったことを。

するとその瞬間に、二人の目が開いた。目ははっきりと開いて、二人はイエス・キリストを理解した。そしてその時、イエス・キリストは消えてしまった。二人はあれこれと思い出し、そしてこう言った「あの方が話しておられる道中、あの方が聖書をわたしたちに開き示しくださった間、炎が胸の内に燃えるのを、わたしたちは感じたではないか!」
―― ルカによる福音書24章31~32節

*引用される「聖書の言葉」はピーターソンさんの翻訳・翻案を訳したものです。

63db463dfd12d154ca717564出典:ユージン・H.ピーターソン『聖書に生きる366日 一日一章』(ヨベル)
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