8月17日「拡張することとして/免除することではなく」

 身近にいる人々を無視することの埋め合わせとして、他の大陸にいる人々に対して憐みを言い広めようとすることを、パウロは許さないだろう。イエスはどうだろうか。次のことを思い出さなければならない。イエスは彼の宣教の九割方を、ユダヤ人の十二部族に限定した。実にそこにこそ、全てのアメリカ人を贖う唯一の方法が隠されている。マーティン・ソーントンが述べるように、イエスはカナン人という外国人によって妨害されるはずがなかった。というのも、イエスの御業が全世界を救うからだ。飢えている子どもたちがいる。そのために、小切手が今もなお切られなければならない。宣教師が派遣されるべきなのだ。しかし、それは、わたしたちが国内で行っていることの「拡張」としてなされるべきことで、決っして、それは「免除」として、なされるべきものではない。

わたしたちの神の言葉について知る全ては次の一句にまとめられる。「隣人を自分のように愛しなさい」これが真の自由な御業である。
―― ガラテヤの信徒への手紙5章14節
*引用される「聖書の言葉」はピーターソンさんの翻訳・翻案を訳したものです。

63db463dfd12d154ca717564出典:ユージン・H.ピーターソン『聖書に生きる366日 一日一章』(ヨベル)
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