「キリスト教信仰の最も適切な説明を聞くためには、牧師・宣教師・修道士、修道女に聞くべきだ」という人々が、教会には必ずいる。「いや、そうではない、医療や社会事業あるいは、教育機関に従事している人に聞くといい」という人々もいる。また、人が何に適しているかを正確に知っている人々も必ずいる。でも実は、わたしたちの誰が最も相応しいのかを十分に分かっている人など、誰一人いないのである。わたしたち一人ひとりには、それぞれに特別な賜物が与えられている。ただし、その賜物が用いられた前例はないかもしれない。でも、それが宣教に用いられるのである。従って、誰かがわたしに「そのようなことでは、キリスト教信仰のためには役立たない」ということを言ったとしても、明確に「そんなことはない」と言い返すことが出来る。
一人ひとりに神がどういうお方であるかを示す賜物が与えられている。誰もが参与する。誰でもが役に立っている。聖霊によって、あらゆるものが、全ての人々に、分け与えられている。
―― コリントの信徒への手紙(一)12章7節
*引用される「聖書の言葉」はピーターソンさんの翻訳・翻案を訳したものです。