7月10日「貧しい人々」

 わたしたちは貧しい人々に、どのような態度で向き合っているのか ―― 今でもこれは、わたしたちの自由が健全なものであるかを図る、最も確かな試金石の一つである。恵みや援助や共感といった行動を差し控えるために自由が使われ始めると、その瞬間に「偽善としての自由」が露呈する。貧しい人々の生活をどうしたら向上するか、それを見出すために自由に行動する人がいる。その人とは自由の最も成熟した真の姿を体現する人である。貧しい人々を小馬鹿にして仲間に入れず、支援しないようにして、貧しい人々の生活の質を落とす、そのために自由を用いる人がいる。そのような人は誰でも、その人自身の品性を落とすことになる。

 わたしたちには自由がある。「神と正しく関わるための確定した方法」がある。それに従わせる圧力がある。しかし、わたしたちにはそれに抵抗する自由がある。わたしたちには自由がある。「神の御名において働くために確立した慣例」がある。それに従わせる力がある。しかし、わたしたちには、それに抵抗する自由もある。貧しい人々を自分の意識から消し去る自由はわたしたちにはない。助けを求める声に耳をふさぐ自由はない。社会の中の落伍者や嫌われ者を見て、僅かな軽蔑を心の中で抱く自由も、わたしたちにはない。

彼らは、唯一つだけ加えてわたしに言った。「貧しい人々を忘れずに。」それこそまさに わたしが心にかけてきたことなのだ。 ―― ガラテヤの信徒への手紙2章10節

*引用される「聖書の言葉」はピーターソンさんの翻訳・翻案を訳したものです。

63db463dfd12d154ca717564出典:ユージン・H.ピーターソン『聖書に生きる366日 一日一章』(ヨベル)
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