7月5日「わたしたち自身についてのよき知らせ」

 福音には個人的な次元がある。それは、わたしたち自身に対するよき知らせである。わたしたちの内的現実その一つひとつが、この世界で展開する政治的や産業的や科学的な「ニュース」と同じくらい重要なものである。たとえ、世界平和が現実に達成され、国内の経済が全ての人々の満足を満たし安定させたとしても、わたしたちは依然として自分自身に対応しなければならない。

 わたしたちがどんなに素敵な家に住み、どんなに教養ある者になろうとも、どんなに仕事や家族が安定していると感じても、如何に十分な収入や幸せを提供できても、色々な心配事や罪悪感や絶望感で満ちているならば、わたしたちは上手にやれない。わたしたちがもし「自分自身はダメだ」とか「自分には何の意味もない」という信念に駆られてしまう時に、そこには「悪い知らせ」がある。わたしたちは誠実さと目標を意識する必要がある。わたしたちは価値ある者・他人にとっても重要な者・特別な者となる必要がある。

わたしは正しいと見えたり、あなたから、高い評価をいただくとも、もはやまったく意味がない。わたしにとって神がいったいどう見ておられるか、それも今や意味がない。わたしの内にはキリストが生きてる。あなたが見ているわたしの命、それは「わたしの命」ではない。わたしは神の子を信じる信仰で生きる。わたしが生きることは、わたしを愛し、わたしのために身をささげられた神の御子の信仰によって、生きている。わたしは元に戻るつもりはない。
―― ガラテヤの信徒への手紙2章20節b

*引用される「聖書の言葉」はピーターソンさんの翻訳・翻案を訳したものです。

63db463dfd12d154ca717564出典:ユージン・H.ピーターソン『聖書に生きる366日 一日一章』(ヨベル)
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