「真の人生」に通じるようになった時に初めて「偽物の人生」を手放すことが出来る。弟子たちはイエスと数年にわたって親しく交わった。それは「成長する」期間であった。その期間を通して弟子たちは、イエスの内に神が与えてくれる人生とは何であるか鋭く正確に理解したのだ。つまり、恵み、癒し、赦(ゆる)し、悪からの解放、奇跡的な食事、人格的な臨在、神の御言葉
―― そうしたことから、神が与えてくださる人生の内実を、弟子たちは確かに学んだのだ。そして、弟子たちはついにそれを悟った。それは「自己保全」「自立」「自己拡大」「うぬぼれ」というものでは「ない」ということを、弟子たちは知った。人生とは何だろうか。それはイエスが明らかにしてくださった。それは「自己犠牲」である。「惜しみなく、度を超すほどに、分け与える」ことである。自発的に犠牲的に、自分自身を死に渡すことを通して、世界のためによみがえる人生 ―― それが「真の人生」である。ですから、イエスのこの御言葉を思い出したい。 ―― 「自分を捨て、十字架を負い、従え」、と。
それからイエスは弟子たちに、弟子たちが自分自身のために何を期待できるか、告げた。
「誰でもわたしにつきてきたいと思うなら、
わたしの導く通りにしなければならない。
運転席に座っていてはいけない。
運転席にいるのは、わたしであるのだから。」
―― ルカによる福音書9章23節
*引用される「聖書の言葉」はピーターソンさんの翻訳・翻案を訳したものです。