聖書から何らかの「真理」や「道徳」や「教訓」を捻出したいという大きな誘惑がある。それは「怠惰」以外のなにものでもない。怠け者の牧師はいつしか「人名」や「町々」や「半端で些細な厄介ごと」や(現代的な生活感覚に適合しないので)「扱いにくい奇跡」などで頭を悩まそうとしない。アメリカ全土で、牧師は聖書の豊富な物語から「理念」や「道徳」を抽出する「違法な酒造所のアルコール蒸留器」の研究に身を入れるようになってしまった。もちろん人々がそれを好んでいるからである。聖書についてであれ、自分自身の人生であれ、いずれにせよその微細なものを取り上げなくともすむように、人々は純粋な真理が詰まったメイソンジャー【食品貯蔵用のガラス瓶】を手にいれようとする。この透明で純粋な刺激物を飲むことによって、人々は畑仕事で汗を流したり、ジャガイモを掘り出したり、食事の用意を調理したり、食べたり、消化したりする煩わしい問題を回避しようとする。この蒸留された液体は血液に直接作用し、あっという間に、陽気な気分にさせる。しかし、それは、実は、毒薬なのである。わたしたちは生物学的にも霊的にも、このような「ブルースピリット」【アルコール度50パーセントの蒸留酒】を100%安全に摂取するように作られてはいない。わたしたちは非常に多様な言葉や言語や文章や物語や歌に気づき、それらを味わい、熟考しつつそれらを取り入れ、健康な生活を可能にするビタミン、酵素、カロリーなどあらゆるものを消化吸収するという複雑な相関性を持った心理的な消化システムを備えた存在なのである。
このような多くの物語を通して、イエスはそのメッセージを人々に語った。彼らの経験や成熟に合わせて語ったのだ。物語を用いずに語ることは一度もなかった。
―― マルコによる福音書4章33節