一週間のリズムを維持するためには自覚的に行動することが求められる。安息日を守る定めはしばしばわたしたちの日常生活に対する一種の妨害のように感じられることがある。安息日遵守(じゅんしゅ)の命令は、世界の運営にあたって人間の日々の働きに欠かせないと思い込んでいる、わたしたちの姿勢に挑戦するものである。しかし、安息日の遵守は妨害ではなく「夕べと朝」という基本的なツービートを確かなものとし、それを拡張させ、より包括的なリズム感覚を生み出すものである。それは「夕べがあり、朝があった」「夕べがあり、朝があった」「夕べがあり、朝があった」(創世記1章5節)という日毎のリズムを刻む「ティンパニー」の響きのもとで、下から、上から、四方八方から深い音色を響きわたらせる「銅鑼(どら)」の音なのである。安息日とは創造を褒(ほ)めたたえ、それに注目する日であり、贖(あがな)いの業(わざ)を想起し、それを分かち合う日なのである。
聖書の中で安息日遵守を命じている二つの箇所を見ると、その命令内容は同じであるが、その理由が異なるものであることが分かる。出エジプト記によれば、わたしたちが安息日を守る理由は、神ご自身がそれらを守られたからだと説明されている。(出エジプト記20章8~11節)。神はその業を六日の間に行い、その後で休まれた。神が一日を休みの日として取り分けられたのだから、人間もまたそれに倣(なら)うべきだというのである。「働き、休む」というリズムは神ご自身が創造された世界と関わり合う中で生み出されたものである。神ご自身が前例となられたように、何かを「する」(行為する)ことを止め、ただ「ある」(存在する)ということ自体が神聖な出来事なのである。出エジプト記においては、わたしたち人間が「する」ことから「ある」ことの神聖さを習塾するために、安息日の遵守が命じられているのである。
安息日の遵守を命じる申命記における第二の理由は、エジプトにおいてイスラエルの先祖たちが400年の間、一日も休みなく過ごしたという事実に由来するものである。(申命記5章15節)。そこでは一日たりとも休みがなかった。その結果、もはや人々は人格をもった人間ではなく、奴隷とみなされるようになった。人手として、または労働力として見なされるようになった。神の似姿に創造された人間ではなく、レンガを作り、ピラミッドを建設するための機械に過ぎなかった。人間性ははなはだしく貶されていた。
わたしたちの隣人、夫、妻、子ども、または雇人など、誰に対してであろうとも、そのような人間性の否定が起きないようにするために、安息日を守ることが命じられているのである。
神の民にとって「到着」と「休み」の約束は依然としてそこにある。神ご自身休まれたのだ。旅の終わりに、わたしたちが必ず神と共に休むのだから。
―― ヘブライ人への手紙4章9節