1月24日「愛に託す」

詩編124編に基づく

わたしは、毎日、愛に託している。愛ほど苦手なものは何もない。愛するよりも、他人と競争するほうが得意である。他の人をどう愛するかを考えるよりも、自分の本能や野心や出世に応えようとするほうがずっと得意である。わたしは、学校では自分の能力を如何に獲得するかという方法を教えられ、訓練されている。それなのに、わたしは、毎日、自分の最も得意とすることを脇に置き、非常に不器用なことに挑戦している。 ―― すなわち、愛することの挫折や失敗を受け入れながら、プライドで成功するよりも、愛で失敗したほうがいいと敢えて信じている。

それら全ては危険な業である。わたしは何時も敗北の危険と隣り合わせとなっている。わたしはそのようなことの一つでも自分の(あるいは他の誰かの)満足のために行ったことは一度もない。わたしは竜の口と洪水の淵に生きている。

しかし、この詩編は「危険」ではなく「助け」について書いている。弟子としての危険な業が、この詩編の主題ではなく、その設定に過ぎない。主題は「助け」である。「主をたたえよ。主はわたしたちを敵の餌食になさらなかった。仕掛けられた網から逃れる鳥のように、わたしの魂は逃れ出た。わたしたちの助けは、天地を造られた主の御名にある。」【詩編124編6~8節】危険があろうが、なかろうが、わたしたちが生きている根本的なリアリティーは「主はわたしたちの味方であり……わたしたちの助けは主の御名にある。」【詩編124編1~8節】にある。

わたしたちは彼らの牙から自由になり
 彼らの罠から自由になり、鳥のように自由に飛び立ちました。
彼らの支配は解かれました
 わたしたちは飛び立つ鳥のように自由になった。
― 詩編124編7節

63db463dfd12d154ca717564出典:ユージン・H.ピーターソン『聖書に生きる366日 一日一章』(ヨベル)
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