レポート・茨木市立キリシタン遺物史料館 〝虚構系〟遺物にも焦点

「聖フランシスコ・ザビエル像」などが発見された大阪府茨木市の千提寺には、1987年、茨木市立キリシタン遺物史料館が開館し、山間にあるにもかかわらず多くの人が足を運んでいる。「聖フランシスコ・ザビエル像」や「マリア十五玄義図」などが収められていた「あけずの櫃」や、「キリスト磔刑木像」とそれが入れられていた「青銅製筒」など、現地で本物を見る感動は何ものにも代えられない。「クルス山」で発見されたキリシタン墓碑は精緻な複製が展示されている。

キリシタン遺物が発見された現地に史料館があることで、当時の様子に思いを馳せることができるというメリットがある一方、交通の不便さから史料館に学芸員や専門職員が常駐することが難しい。実はキリシタン遺物史料館は、茨木市の市街地にある茨木市立文化財資料館が所管し、展示の企画・運営などを行っている。史料館のバックヤードは文化財資料館であると言っても過言ではない。今回、キリシタン遺物史料館の取り組みと今後の展望について、文化財資料館館長の黒須靖之さん=写真下=に話を聞いた。

――茨木市ではキリシタン遺物の保存や活用に関して、これまでどのような取り組みが行われてきたのでしょうか。

黒須 よく知られているように大正期に「聖フランシスコ・ザビエル像」をはじめとする多数のキリシタン遺物が発見され、京都帝国大学や東京帝国大学から研究者が訪れて調査と研究が進められるようになりました。千提寺地区において、1967年にキリシタン遺物保存会が発足し、87年にキリシタン遺物史料館が開設され、98年から、当地で発見された遺物が文化財指定を受けるのと並行して、遺物の保存に向けた取り組みが少しずつ行われ始めました。画期となったのは2011年です。「マリア十五玄義図」(東家本)の保存修理を行い、続いて12年にキリシタン墓碑3基の複製品を製作しました。現在では、「マリア十五玄義図」(東家本・原田家本)や「聖フランシスコ・ザビエル像」など絵画系遺物は高解像度のデジタル保存と複製製作が行われ、肉眼では到底本物と見分けることができない精巧な複製品が作られています。展示という面でも、2011年、「マリア十五玄義図」の保存修復記念として第1回の企画展が行われ、現在第14回まで続けられていますから、やはり2011年が画期だったといえるでしょう。

――第14回企画展といえば、昨年3月から5月にかけて開催された「茨木のキリシタンイメージ 何を〝キリシタン遺物〟とするのか」が、キリシタンに関心を持つ人々の間で注目を集めました。本物のキリシタン遺物ではないけれど、人々のキリシタンに対するイメージを仮託された遺物があるのですが、それを「偽物」と呼ぶのも語弊があるし、かといって「キリシタン遺物」と呼ぶこともできないので、最近では〝虚構系〟遺物といったりしています。こちらの企画展では、そうした〝虚構系〟のキリシタン遺物を取り上げるということだったので、それこそ画期的だと話題になっていました。しかも、本物のキリシタン遺物の一大発見地である茨木で、というのだからなおさらです。その時の企画の経緯などについて教えてください。

黒須 今はもう他のところに移ってしまったのですが、当時、近世仏教美術を専門とする学芸員がおりまして、本市に伝わるキリシタン遺物のなかにも〝虚構系〟と言われる牛に乗った天神像や十字架茶托、如来像付き十字架などが遺物所有者宅をはじめ本市にも伝わっていることに着眼し、これまであまり触れられてこなかった“虚構系”遺物の展示をしてみようと考えたことがはじまりです。ただ「おかしい」と気づいただけでなく、仏教美術に関する正確な知識があったものですから、どこがどうおかしいかを詳らかにすることができたわけです。そこで「キリシタン遺物」とは一体何か、定義を明確にして、またその定義から外れる〝虚構系〟遺物にも、それが生まれた背景があるのだから、そこにも同時に光を当てようとしたわけです。

「キリスト磔刑木像」と「青銅製筒」

――茨木にも〝虚構系〟があったということですか?

黒須 はい、大正期にここで多くのキリシタン遺物が見つかって、それが新聞などで報道されました。全国で南蛮ブームが巻き起こっていたため、さらに拍車がかかったようです。そうした波に乗って、村に古物商が出入りしていたようで、何か売りこんだりしたのかもしれません。その結果、本物のキリシタン遺物を持っている家に、〝虚構系〟遺物が結構残されることになったのだと思います。明らかにキリシタン遺物ではないのだけれど、いつ誰がどのように入手したのかもわからない。昔はキリシタン遺物史料館の常設展でも、そうした物(牛天神や鞭縄)も展示していたようですが、徐々におかしいと認識されて表に出されなくなっていきました。市の基準に則って、市にゆかりのある物を収集し展示するようにしております。

――今後、どのような展示を企画されているのでしょうか。

黒須 まず3月26日から第15回企画展「もうひとつの隠れキリシタンの里―下音羽―」を開催いたします。キリシタン遺物史料館があるのは千提寺地区ですが、そこから2キロほど北に位置する下音羽地区の民家や寺院でもキリスト磔刑像やロザリオ、絵図、キリシタン墓碑など貴重な資料が発見されています。千提寺地区同様、高山右近の所領地だった地域のひとつです。伝わった遺物や当時の村の規模からすると数多くのキリシタンたちが下音羽にいたことが考えられるため、〝もうひとつの隠れキリシタンの里〟としての下音羽をキリシタン遺物とともに紹介することが企画展の目的です。また、千提寺と下音羽とでは、明確に違う点があるのも興味深いところです。キリシタン墓碑の形状なのですが、下音羽は伏碑と言われる九州に多く見られる半円形型、千提寺は立碑なんですよね。そこから何が読み取れるのか、これからの研究次第ですが、まずは見に来ていただければと思います。

今後の展望としては、茨木市では全国で唯一完全な形をした銅鐸鋳型が発掘された弥生時代の集落や古墳など古代の遺跡も数多く存在し、考古学の専門家もいるので、キリシタン墓の発掘成果を展示するという企画も考えられるかと思います。

――それはたいへん期待されますね。貴重な話をありがとうございました。

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