【シリーズ・「2世」の呻き】 すべての宗教で起こりうる 自由意志の制限は一生癒えぬ傷 夏野なな(エホバの証人3世)

互いに尊重し合い、幸せに暮らせる社会を

山上徹也容疑者による安倍晋三元総理銃撃という痛ましい事件により浮かび上がってきた宗教2世問題ですが、これをお読みになられている方で事件より前から私たちの窮状をご存じの方はどれほどいらっしゃったでしょうか。またこの問題を知って、これは宗教界全体の問題であるとお考えになった方はどれほどいらっしゃるでしょうか。

3年前に開催された「エホバの証人(JW)2世問題を考える会」第2回で、出席した日本基督教団仙台宮城野教会の齋藤篤牧師は次のように話されました。以下、本人の承諾を得て会の記録より抜粋させていただきます。「宗教そのものが2世問題を作りやすいものだということは申し上げたい。……支配する側とされる側の関係性としての親子の関係におけるゆがみ。それが2世問題を生じさせている。親自身も家族の他のメンバーから支配を受けていたりするが、そのしわ寄せが一番立場の弱い子供にくるため、二重三重に影響を受ける。人間とは支配したくなる存在である。宗教に携わるものとして、誰にも起こりうることとして、自分の問題としてとらえていきたい」

この言葉はまさに宗教2世問題の構図や問題点を非常に鋭く指摘しています。宗教2世問題が親子関係、つまり支配者と非支配者の関係と切り離せないものである以上、すべての宗教において起こりうるのです。宗教2世問題は決して一部の教団の問題ではなく、宗教界全体の問題であるという認識をお持ちいただきたいです。

私自身、エホバの証人の3世として生まれ、苛烈な虐待を受けて育ちました。正直に申し上げて、宗教というものになんら良い感情を持っていません。なぜなら、宗教に人生を破壊されたからです。宗教を離れて長い年月が経ちましたが、いまだに虐待のフラッシュバックに苦しみ、帰る場所も頼る家族もなく、心に平穏が訪れたことはありません。また終末思想により家族全員が無年金で蓄えもない上に、自分自身も進学を許されず、社会で生きていく上でのさまざまな選択肢を奪われ、生涯にわたって問題は尽きることがありません。前向きに生きようと自分を奮い立たせてはいますが、苦しみは絶えません。

本来宗教というものは多くの人にとって、救いとなるはずなのではないでしょうか。例えばキリストが説いているのは、愛や赦しです。私が宗教界の皆様にお願いしたいことは、愛を持って苦しむ宗教2世に手を差し伸べ、共にこの問題の解決のために手を取り合って歩んでほしいということです。信教の自由には「信仰しない自由」も含まれています。宗教2世問題の根幹は、望まない信仰を強要されたことによるものです。教義のもとに自らの意思とは異なる発言や行動を強要され、逆らえば家畜のごとく鞭打たれ、惨憺たる幼少期を過ごした子どもが日本中に存在します。もう二度とこのような子どもたちを出さないために、宗教界が一丸となって信仰の強制に「NO」という姿勢を示していただけないでしょうか。

信仰の強制とは言い換えれば、他のあらゆる信仰から隔絶されるということでもあります。

私はエホバの証人の教義により、他の宗教はすべて大いなるバビロンであると教えられ、親族の墓参り、仏壇に手を合わせること、クリスマス、初詣、夏祭りなどありとあらゆる行事への参加を禁止されて育ちました。私自身はこれらの行事に参加したいと思っていたにもかかわらずです。ひと口に宗教行事といっても、文化として生活に根づいているものも多く存在します。こうしたものを季節ごとに祝い、受け継がれてきた風習に思いを馳せることは、子どもたちの健やかな精神の育成にも寄与すると思います。

信仰の強制を行わない健全な宗教界も、多くの子どもたちがあらゆる信仰や文化から遠ざけられ、子どもの自然な自由意志で宗教に関心を持ったり、教えを自らの意思で学び身につけたりする機会を奪われている現状も憂慮すべきことであると捉え、はっきりと「NO」を明言していただきたいです。

「被害者救済新法」成立後の会見で発言する筆者(写真左端)

すべての信仰は自由意志のもとに選択され、個人で培っていくものであると考えます。もちろん不条理に制限されることなく、さまざまな宗教に触れた上で無宗教を選択する人の自由が尊重されるべきことも大前提としてです。自由意志を著しく制限されることは、高い知能を誇る人間にとって筆舌に尽くし難い苦しみであり、一生癒えぬ傷として深く心に残り、強い憎しみを生みます。

これまで宗教界の皆様は、乱立する新興宗教に対して寛容な姿勢を示してこられたように思いますが、今後はそれも見直していただきたいと思っています。例えば問題となっている統一協会やエホバの証人などは、聖書をベースに独自の解釈を加えたものを教義としています。特にエホバの証人は、自分たちの発行している「新世界訳聖書」こそが真の聖書であり、既存のキリスト教をサタンであるなどという主張を繰り返しています。特定の信仰を持たない私の目から見ても、これを野放しにしておくことは宗教界にとって決して良いこととは思えません。これ以上新たな被害者を生まないためにも、毅然とした態度で抗議していただきたく思います。

また、先日厚労省より発出された「虐待対応Q&A」についても、信仰の有無にかかわらずすべての家庭において遵守していただきたいものであり、特に宗教界の皆様にはぜひ率先してこれの周知・啓発に努めていただき、組織内のコンプライアンスについても積極的に議論していただきたいです。

教育、慈善事業や福祉活動などに精力を注いでおられる方も、宗教界には多くおられることと思います。その対象にぜひ被害にあった宗教2世も含めていただけないでしょうか。詳細な被害の報道なども多くなされており、すでにご存じの方も多いとは思いますが、献金により著しく家庭の経済状況が悪かったり、親の宗教活動のためにネグレクトを受けていたり、教義により進学を否定され十分な学びの機会を得られなかったり、多くの問題を抱えた子どもたち、またすでに成人してしまっているもののそういった幼少期を過ごし、生きづらさを抱えている人たちに救いの手を差し伸べてください。

近い将来この問題に一応の解決を見ることができたとしても、継続的に再発防止のための議論をしていただきたいです。この世に宗教が存在する限り、永遠にです。宗教界を二度と子どもの人権が侵害されない場所に、関係者の皆様の手で作り替え、また絶対にそれを守り続けてください。

太古の昔より宗教は伝統や文化の継承や、人々の心の拠り所など、いくつもの大切な役割を担ってきたと考えます。私自身、決してなくなってほしいと思っているわけではありません。正しくあり続けるために自浄作用を働かせ、健全な形で永久に歴史を紡いでいかれることを願います。

最後に、これはすべての宗教に当てはまることでありますが、時代に沿った価値観のアップデートをしていただきたく思います。人権意識が高まりつつある昨今において、男尊女卑思想や人種差別、LGBTの方への否定などは仮に教義に含まれていたとしてもまったく時代にそぐわないものであり、またそのような言動や行動は人をひどく傷つけ人権を侵害するものです。信仰は個人の自由ですが、他者に優劣をつけたり否定したりする行為は許されるものではありません。

宗教界の皆様が率先して多種多様な人々を受け入れ、愛を持って接することによって、多くの人がそれに触れ、救われるのではないでしょうか。お互いが歩み寄り、尊重し合い幸せに暮らせる社会になることを祈ります。

夏野なな
 なつの・なな(仮名) 宗教二世問題ネットワーク会員。0歳から神権家族育ちで家族は現役信者。一度も信仰を持ったことはない。note(https://note.com/natsunonana)で自身の体験を発信中。

*本紙では「宗教2世」当事者の声を集めています。弊社「『2世』の呻き」係までお寄せください。

【シリーズ・「2世」の呻き】 ありのままの自分愛せず 「選択の自由を奪わないで」 あん(統一協会2世) 2023年2月11日

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