【哲学名言】断片から見た世界 「見えるもの」から「見えないもの」へ

『美と適合について』:アウグスティヌスが書いた、初めての本

『告白』の物語をたどってゆく私たちの試みも、青年アウグスティヌスが20代の半ばの頃にまでたどり着きました。今回は、彼の哲学者としての本格的な出発を画するエピソードについて見てみることにします。

「『わたしたちは、美しいものでなければ、何を愛するであろうか。それでは、美しいものとは何であるか。また美とは何であるか。』[…]このような考えがわたしの内奥からわたしの心に湧き出て、わたしは『美と適合について』を書いたが、それは、おそらく、二、三巻の書物であったであろう。正確なことは、神よ、あなたが知っておられる。わたしは、それをなくしてしまったからである。」

今では失われてしまって読むことのできないこの書物をアウグスティヌスが書いたのは、彼が二十六、七歳の頃だったといいます。この本をめぐる事情について、これから見てみることにしましょう。

哲学することへの情熱が、高まってくる:20代半ばの頃のアウグスティヌス

この本を書いた頃のアウグスティヌスをめぐる状況は、おおよそ次のようなものであったと考えられます。

まず彼は、弁論術の教師としてはまずまずの成功を収めていました。弁論術とは要するに、うまく書いたり、うまく話したりするための技術にほかなりません。こういったものに対する需要は決してなくならないので、アウグスティヌスもこの職から生活上の安定を得ていたわけです。彼のもとには、何人かの弟子のような人々もいたようです。

その一方で、アウグスティヌスの心の中には「真理の探求」とでも呼ぶべきものへの情熱が、次第に高まっていました。こちらの方は、少なくとも彼の場合には仕事に直結することはなく、純粋に魂の内側から生まれてきたものでした。知的好奇心の旺盛な彼は、当時のありとあらゆる哲学書を読み進めてゆく中で、自分でも哲学をしてみたいと次第に思うようになってゆきます。

こうして彼は二十六、七歳の時に初めての作品であるところの、『美と適合について』を書きました。ちなみに、この本は世間の評判を呼ぶことはほとんどなかったようですが、著者当人は、書いた内容自体については大変に満足していたと当時のことを振り返っています。アウグスティヌスの生涯にとって、この本を書いたことは一体、どのような意味を持っていたのでしょうか。

「私たちは見えるものではなく、見えないものに目を注ぐ……。」:探求なるものの不思議さについて

若きアウグスティヌスがこの『美と適合について』を書いたというエピソードを通して見えてくることの一つ、それは、人間の真理を求める探求がその人をどこに連れてゆくことになるのか、前もっては決して分からないということなのではないかと思われます。

「美とは何か?」というのが、この本の主要なテーマでした。つまり、この時期のアウグスティヌスの頭の中を占めていたのは「目に見える、さまざまに美しいものたち」に他ならなかったわけです。確かに、太陽や海、動植物から人間身体にいたるまで、この世界はさまざまな美しいものに満ちています。これらの「目に見えるもの」の美しさの秘密を解き明かすならば、これはもう森羅万象の秘密を明らかにすることにも等しいのではないかと、当時のアウグスティヌスとしては考えていたに違いありません。

その一方で、この数年後にアウグスティヌスが読んで目を開かされることになる使徒パウロは『コリント人への第二の手紙』において、次のように言っています。

パウロの言葉:
「わたしたちは見えるものではなく、見えないものに目を注ぎます。見えるものは過ぎ去りますが、見えないものは永遠に存続するからです。」

『美と適合について』を書いたこの頃に上の言葉を聞かされたとしても、若きアウグスティヌスとしては、「まあ、そういう考えもありますかねえ」とでも答えるか、あるいは口には出さないとしても、「いきなり何言い出したんだ、この人……」と密かに思うくらいだったに違いありません。ところが、そのアウグスティヌスが、数年後にはこの言葉を書きつけたパウロの手紙を一心不乱に読みふけり、物の見方を180度転換させられることになります。繰り返しにはなってしまいますが、真理の探求がその人をどこに連れてゆくことになるのかは、まことに、その人自身にとってすらも決して分からないもののようです。

おわりに

「風は思いのままに吹く。あなたはその音を聞いても、それがどこから来て、どこへ行くかを知らない。」先が分からないから不安と見るのか、それとも、先が分からないからこそ面白いと見るのかは、人によって意見は分かれる所なのかもしれません。しかしながら、「人生の行く先は分からない」というその一点だけは、いずれにしても動かせないことであると言わざるをえないようです。私たちとしては、青年アウグスティヌスの人生の探求の道行きを引き続きたどってみることにしたいと思います。

[記事を読んでくださって、ありがとうございました‪。アウグスティヌスの真理の探求が本格化してきて、少しずつ「取って読め」に近づいています。毎回、決して重くないわけではない主題を扱っているにも関わらず読解に付き合ってくださる方がいることは、本当に感謝の限りです。コラム筆者も、この後の展開が思ったよりもハードなことになりそうで、自分の最初の見通しが甘かったと反省させられていますが、出来る限り頑張ってみることにします。皆さま、よい連休をお過ごしください……!]

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