日本イエス・キリスト教団京都教区教育部は8月17日、日本イエス・キリスト教団京都聖徒教会(京都市北区)を会場に第2回CS(教会学校)説教塾を開催した。
講師は第1回に引き続き大頭眞一氏(京都信愛教会、明野キリスト教会牧師)。主題は「福音を語る」で、CS説教の実践面について分かち合われた。
大頭氏はまず、子どもたちに信仰を伝えることの前提として「万物の解決策を与えることではなく、どんな絶望的な状況でも神がともにおられることを共有すべき」と述べた。子どもたちの質問が鋭い時ほど教師はどうしても答えを与えなければとさまざまな言葉を準備するが、人間の理解力というものは本来有限であり「モヤモヤをすべて解決しようとしたらカルトになる」と警告。大切なことは〝自ら〟が「すべてを知る」ことではなく〝神〟が「すべての時」にともにいてくださるという「生きた信仰」を子どもたちへ共有することであると語った。
また「若者は耳の構造が違う」と大頭氏。ある学生集会で牧師がメッセージを10分間で済ませ、その後5分間弾き語りをして講壇から降りたことがあったとのこと。通常の礼拝説教と比べた場合、尋常でない速度に感じるが会衆の評価は概ね満足。最近の若者はYouTubeを倍速で視聴したり、複数のコンテンツ(動画・音楽)を短い時間で享受することがほとんで、そこでは「リズム感」がとにかく重視されている。そのため「ご高齢の方がCSを続けることの限界は、内容以上にテンポやリズムの問題がある」と指摘された。
今回大頭氏は「説教十戒」と題するCS説教の具体的な手引きを公開。その内容はユニークさと実践性に富んでおり、例えば「第四戒:模倣せよ(世界で唯一のメッセージである必要はない。これはすごいと思ったら大抵ダメ)」や「第八戒:なめらかすぎてはいけない(福音は驚き。もちろん分かりやすく語ることは大切ですが、分かりやすくならない核があります。それをなめらかに、当たり前のことのように語ろうとすることには無理があります。ごつごつした違和感のある言葉はむしろ必要なのです)」など。
特に「模倣」に関して十数年前、「先生の説教はダメだ」と言われた大頭氏は学びのために説教塾主宰であった故・加藤常昭氏のもとを訪問し、「先生の説教を真似していいですか?」と尋ねたところ「どんどんやりなさい、説教は模倣からしか始まらない」と快く受け入れられた経験を紹介した。
また「説教者は三つ星レストランのシェフではなく、大衆食堂の親父。おいしく栄養のあるものをサッと作ることが大切」と述べ、「例えば疲れている人がくれば少し塩っ気を多めにするなど、これこそ子どもたちと関わるあなたにしかできない奉仕」と強調した。
ただ「手順通り料理をしてもおいしくなりますか?」とも問いかけ、説教において大切なのは「方法」ではなく「驚き」であるとし、「説教準備中は不安になり何度も手直しをしてしまうが、自分が受けた驚きはサラダのように、生のままで語りかけましょう。福音の語りは驚きから始まります」と話した。
最後に実践として、聖書箇所に「タイトル」「一文エッセンス」「説教要約」を自ら付ける時間が設けられた。大頭氏はヨハネ黙示録21章から、「涙をぬぐう神」という主題を掲げ「ホッとしてください。もう始まっている」という一文エッセンスとともに、「黙示録から終末は近いと煽る説教者は絶えないが、本書は1世紀の迫害下にあるクリスチャンへの慰めと励ましが主題。終末がいつかは誰も知らない、だから子どもたちを不安にさせないでください。大丈夫なんだと励ましてください。すでに主イエスは死んでよみがえられたのですから」という要約を紹介した。
9月中旬には、大頭氏の連載「子どものための神のものがたり」が書籍化される予定。