全日本テコンドー協会の騒動でメディアにたびたび登場し、年内に副会長を退任する岡本依子(おかもと・よりこ)さん。実は現在、ヴィジョン・ジャパン教会(大阪府北区)で主任牧師を務めている。岡本さんにテコンドーのことや信仰の歩みなどを聞いた。
──テコンドーとの出会いについて教えてください。
私、もともと夢がなかったんです。中学、高校と進学校(私立・四天王寺中・高校)に通っていたんですが、勉強が嫌いだったんですね。それで「大学には行きたくない」と言ったら、両親や先生から、「大学に行ったら何でもできるから、絶対に4年制の大学に行きなさい」と言われて、早稲田大学人間科学部スポーツ科学科に入学しました。中学1年の時から近所の空手道場に通っていて、メンタル・トレーニングなど、スポーツ心理学に興味を持っていたんですね。
上京して、初めの1年間は好き放題に過ごしていました。でも、それもつまらなくなってしまって……。誰かに言われて、いやいや何かをやるのではなく、一生かけて叶(かな)えられるような夢や目標がほしいと思うようになったのです。
92年、大学3年生のときに「何か発見があるのでは」という思いから、交換留学生としてオレゴン大学へ留学して、そこで初めてテコンドーに出会いました。
──テコンドーのどんなところに魅力を感じましたか。
もともと空手をやっていたこともあって、対戦競技全般が好きだったのですが、中でもテコンドーに惹(ひ)かれたのは、技(わざ)の美しさやそのスピード感です。もう一つは、全世界に普及しているスポーツであったこと。国際大会には世界中から選手が集まって、対戦ができることにも魅力を感じました。
実はそれまでに、いろいろやってみたんですよ。バレーボールやバスケット、エアロビクス……。でも、どれも私には合わなかったみたいです(笑)。
──テコンドーを始めてからわずか8年、テコンドーが正式種目になった2000年のシドニー・オリンピックに初出場して、銅メダルを獲得されました。続くアテネと北京にも3大会連続でオリンピックに出場し、09年に現役を引退されています。ところで、洗礼を受けたのはいつ頃ですか。
06年8月なので、ちょうどアテネと北京オリンピックの間ですね。私はずっと韓国で練習をしていたのですが、ある年の12月24日、クリスマス・イブに、コーチが通っている教会に誘われて行ったことがきっかけになりました。
教会で行われたクリスマス劇を見たとき、「イエス様は素晴らしい方だなあ」と感動して涙がこぼれました。でも、その時点ではまだ信じていなかったんですね。
実家は真言宗だったし、中・高とお寺(聖徳太子が建立したとされる四天王寺)の境内にある学校に通っていたので、小さい頃から、いわゆる「日本の神様」の存在は信じていたんです。今みたいに「誠実に神様を信じる」という感じではなかったけれど、何かあるごとに助けてもらっていると感謝して、仏壇や神社、自然に対してお礼を欠かしませんでした。
だからその日、牧師先生に「あなたはイエス・キリストを信じますか」と聞かれたとき、「神様のことは信じているけれど、イエス・キリストのことは信じません」と言ってしまったんですね。そうしたらその先生は少し悲しそうな顔をされて、「あなたが神様と幸せに生きていけるのだったら、イエス様がこの地に来て、十字架にかかる必要はあったでしょうか」と言われたんです。
そのとき、不思議なんですが、本当に分かったんです。イエス様が十字架にかかっておられるとき、すでに私のことを知っており、この会話も聞かれているということを。そして、こんな私でも、イエス様を救い主として受け入れたら、イエス様は喜んでくださるんだなということも。
信じるも信じないも、ここに存在していることが分かったら、もう否定できませんよね。その場で信仰告白のお祈りをして「アーメン」と言った瞬間、本当に「これで救われた!」と思いました。
──なぜですか。
私はずっと、自分でも気づかないうちにイエス様を探し求めていたんです。
それまでにも、「この人はすごい」と思う人や憧れた人のところへ学ぶために会いに行ったりもしましたが、そういう方は忙しいから、私のことなんて構う余裕がありません。たとえ気持ちがあったとしても、一人の人がそんなにたくさんの人の面倒を見られるわけでもない。
でも、イエス様は違います。こんな私の、こんなに小さな心も全部ご存じで、導いてくださって、私のために来てくださった。「ああ、そういうことだったんだ。この方さえいてくだされば、私はもう大丈夫だ」と思える方に出会ったと感じました。
その日以来、1回も疑ったことがありません。初めの頃、「あなたはまだ信じたてだから」と言われたりもしましたが、その時からずっと、むしろ今のほうがイエス様とラブラブなんです(笑)。